カラカラはローマ皇帝セプティミウス・セウェルスの息子として生まれ、好戦的な性格で知られる一方、数々の重要な改革でも名を残した人物です。特に有名なのが「カラカラ勅令(アントニヌス勅令)」であり、また首都ローマに彼の名を冠した巨大な浴場「カラカラ浴場」を建設したことでも知られています。
権力への道:弟ゲタとの対立
カラカラは非常に早い段階から帝政の政治に携わるようになりました。父セウェルスによって、弟ゲタとともに「カエサル(副帝)」に任命され、211年に父が死去すると、兄弟は共同統治を行うことになりました。しかし翌212年、カラカラは弟ゲタを暗殺して単独の権力を握ります。彼は元老院に対し、ゲタが自分に対する陰謀の首謀者であったと説明し、この行為を正当化しました。
アレクサンドロス大王に憧れた軍事遠征
カラカラは自身の模範としたアレクサンドロス大王の足跡を追い、数多くの遠征を指揮しました。213年にはガリア、214年にはドナウ川流域、215年にはエジプト、そして216年にはシリアへと出征し、それぞれ勝利を収めています。
しかしその統治は民衆や軍部に必ずしも受け入れられず、強い不人気ぶりを示しました。217年、シリアでの最後の遠征の最中、カラカラは暗殺されます。この暗殺は、彼の死後に皇帝の座を継いだ近衛長官マクリヌスによるものだとされています。
基本情報
- 在位期間:188年 – 217年
- 身分:ローマ皇帝