歴史上の人物

フィリップ・ペタン――「ヴェルダンの英雄」からヴィシー政権の国家主席へ

フィリップ・ペタンの生涯

フィリップ・ペタン(Philippe Pétain、1856年~1951年)は、フランス北部パ=ド=カレー県の裕福な農家に生まれました。幼少期はカトリックの教育を受け、1876年に陸軍士官学校サン=シール校に入校し、軍人の道を歩み始めます。

第一次世界大戦と「ヴェルダンの英雄」

退役を目前に控えていた矢先、第一次世界大戦が勃発しました。当時はほとんど無名の将校でしたが、彼が指揮する戦いが次々と勝利に導かれたことで、その才能が広く認められるようになります。特にドイツ軍の猛攻を食い止めたヴェルダンの戦いでの活躍により、「ヴェルダンの英雄」と称えられました。

1917年にはフランス軍内で大規模な反乱(兵士たちの抗命)が発生しますが、ペタンは前線の兵士たち「ポワルー(poilus)」の生活環境を改善することで士気を回復させ、危機を乗り越えました。元帥に昇進した彼は、大戦終結時、フランス国民から最も栄光ある軍人の一人として敬愛されていたのです。

ヴィシー政権の樹立

両大戦間期には歴代の政府に参加し、1940年5月、ドイツ軍のフランス侵攻の中で閣僚会議副議長(副首相に相当)に任命されました。ペタンはドイツとの休戦を主張し、同年7月10日、議会は元帥に全権を委任することを決議。こうして彼は「フランス国」の国家主席となりました。

ペタンにとって、フランスの敗北は何よりも道徳的・政治的なものでした。彼は「労働、家族、祖国」をスローガンに掲げ、権威主義的で保守的な「国民革命」を推進します。

対独協力と戦後の裁判

占領下のフランスにおいて、ペタンはナチス・ドイツへの協力(コラボラシオン)政策を展開しました。この結果、ユダヤ人やレジスタンス活動家の強制送還など、ドイツ占領当局や民兵組織「ミリス」によって犯された罪に対して、彼もまた共同責任を負うことになったのです。

1945年、ペタンは死刑判決を受けますが、その高齢を考慮したシャルル・ド=ゴールによる恩赦で終身刑に減刑されました。彼は1951年、投獄されたまま生涯を閉じています。

基本情報

  • 生没年:1856年~1951年
  • 職業:軍人、政治家