ロベール・シューマン(Robert Schuman、1886年6月29日~1963年9月4日)は、ルクセンブルクに生まれ、フランスで活躍した政治家です。1950年の「シューマン宣言」によって欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)の創設を提唱し、「欧州統合の父」の一人として広く称えられています。
生い立ちと法学への道
シューマンは1886年6月29日、ルクセンブルク市で生まれました。当時の故郷ロレーヌ地方はドイツ帝国の支配下にあり、彼はルクセンブルクとメスで学業を修めた後、ベルリンへ渡って法学を専攻しました。帰郷後はメスで弁護士事務所を開業し、法律家としてのキャリアを歩み始めます。
第一次世界大戦と政界入り
1914年に第一次世界大戦が勃発すると、シューマンはドイツ軍の兵役に就くことを命じられました。大戦が終結し、ロレーヌ地方がフランスに復帰すると、彼は1919年にモゼル県からフランス国民議会議員に選出され、本格的に政界へ足を踏み入れます。
第二次世界大戦での逮捕と逃亡
第二次世界大戦中の1940年、シューマンはナチス・ドイツの秘密警察ゲシュタポに逮捕されました。しかし脱走に成功し、戦争の終わり頃にはモゼル地方へ戻っています。この過酷な経験は、独仏間の対立を二度と繰り返さないという、彼の欧州統合への揺るぎない信念の原動力となったといわれています。
戦後の要職と欧州建設への貢献
平和が回復した1945年、シューマンは再びモゼル県の議員に選出され、フランス政府の中核メンバーとして活躍します。まず財務大臣に就任し、その後、閣僚評議会議長(首相)、さらに外務大臣を歴任しました。
とりわけ1950年5月9日の「シューマン宣言」は歴史の転換点となりました。外務大臣であった彼は、独仏両国の石炭と鉄鋼の生産を共同管理するという大胆な構想を提唱し、これが1952年の欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)設立へと実現します。ECSCはその後の欧州経済共同体(EEC)、そして欧州連合(EU)へと発展する、欧州統合の出発点となりました。
晩年とその評価
シューマンは1963年にこの世を去りました。彼の偉業を記念して、宣言が発表された5月9日は毎年「ヨーロッパ・デー」として祝われています。誠実な人柄と深い信仰心でも知られ、カトリック教会では列福に向けた調査も進められています。
基本情報
- 生没年:1886年6月29日~1963年9月4日
- 出身地:ルクセンブルク
- 職業:政治家(フランスの財務大臣・首相・外務大臣)
- 主な功績:「シューマン宣言」(1950年)、欧州統合の推進