ウィリアム・テカムセ・シャーマン(William Tecumseh Sherman、1820年〜1891年)は、アメリカ合衆国の軍人・政治家・著述家であり、南北戦争(1861年〜1865年)において北軍(連邦軍)の将軍として活躍した人物です。同戦争で最も成功した北軍将軍の一人とみなされており、「総力戦」と呼ばれる戦略の実践者として広く知られています。
生い立ちと若年期
シャーマンは1820年2月8日、オハイオ州ランカスターに生まれました。父チャールズ・ロバート・シャーマンは弁護士兼判事でしたが、ウィリアムが幼い頃に亡くなったため、家族の友人であるトマス・ユーイング家に引き取られて育ちました。「テカムセ」というミドルネームは、ショーニー族の偉大な首長テカムセにちなんだものといわれています。
ウェストポイントと初期の軍歴
1836年から1840年にかけて、シャーマンは陸軍士官学校(ウェストポイント)に在籍し、クラス6位という優秀な成績で卒業しました。卒業後は正規軍の将校として各地に赴任し、米墨戦争(1846年〜1848年)の時期にはカリフォルニア州での勤務を経験しました。戦後は軍務を離れて銀行業や法律実務に携わる時期もありましたが、1859年にはルイジアナ州立士官学校(後のルイジアナ州立大学)の学頭に就任するなど、幅広いキャリアを積んでいます。
南北戦争での活躍
1861年に南北戦争が勃発すると、シャーマンは北軍の大佐として任官されました。その後、ブルランの戦いやシャイローの戦い(1862年)などを経て急速に昇進し、まもなく少将に昇進します。ビックスバーグ方面作戦(1863年)、アトランタ方面作戦(1864年)など、数々の重要な作戦を指揮して勝利に導き、北軍の中心的指揮官の一人としての地位を確立しました。
「海への進軍」
1864年、シャーマンはミシシッピ軍管区の司令官に任命され、西部戦線における北軍全体の指揮を委ねられました。同年、アトランタ陥落後には大規模な部隊を率いてジョージア州を縦断し、サバンナまで進軍する大胆な作戦を実行します。この一連の破壊的な行軍は「海への進軍(Sherman's March to the Sea)」として知られ、南軍の経済基盤と士気に壊滅的な打撃を与え、戦争の早期終結と北軍の最終的な勝利に大きく貢献しました。その後もサウスカロライナ州へと進撃を続けています。
戦後の人生
南北戦争後、シャーマンは1869年から1883年までアメリカ陸軍の総司令官を務めました。在任中はインディアン戦争への対応や陸軍の組織整備に尽力したほか、後に有名となる「戦争は地獄だ(War is hell)」という言葉でも知られています。1891年2月14日、ニューヨーク市にて71歳で死去しました。
評価と遺産
シャーマンは複雑で物議を醸す人物です。卓越した軍事的指導力と北軍への献身は高く評価される一方、総力戦の手法や、戦争中の民間人への厳しい扱いについては批判の声も根強く残っています。しかし、彼がアメリカ史上最も重要かつ影響力のある人物の一人であることに、疑問の余地はないでしょう。