歴史上の人物

ヴィックスバーグの戦いの指揮官ジョン・ペンバートンとはどんな人物?

南北戦争の転換点とされるヴィックスバーグの戦い(1863年)。この戦いで南軍の総指揮を執ったのが、ジョン・クリフォード・ペンバートン(John Clifford Pemberton)中将です。北部出身でありながら南軍に身を投じた、異色の経歴を持つ将軍として知られています。

ペンバートンの生い立ちと経歴

ペンバートンは1814年、ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれました。米陸軍士官学校(ウェストポイント)を卒業後、正規軍の将校として米墨戦争などに従軍し、着実にキャリアを積み上げていきます。

南北戦争が勃発すると、故郷である北部ではなく、妻の実家のある南部に忠誠を誓う道を選び、南軍の将官として仕官しました。この決断により、故郷の家族や旧友との関係は冷え込んだと伝えられています。

ヴィックスバーグ防衛の大任を託される

ミシシッピ川を見下ろす要衝ヴィックスバーグは、「南軍の背骨に突き立つナイフ」と例えられるほど戦略的に重要な地点でした。ペンバートンは同地域を守る南軍ミシシッピ方面軍の司令官に任命され、都市防衛の全権を委ねられることになります。

チャンピオンヒルの戦い

1863年5月、ユリシーズ・S・グラント将軍率いる北軍が州都ジャクソンを陥落させて西進すると、ペンバートンは野戦でこれを迎え撃つことを決断します。5月16日に始まったチャンピオンヒルの戦いでは、部隊の配置や砲兵の運用を自ら指揮しましたが、北軍の猛攻を支えきれず敗北。残存兵力を率いてヴィックスバーグへの撤退を余儀なくされました。

47日間の包囲戦と降伏

ヴィックスバーグに籠城したペンバートン軍は、その後約47日間にわたり北軍の包囲攻撃に耐え続けました。しかし、望みをつないだ救援軍は到来せず、食料も弾薬も枯渇の一途をたどります。同年7月4日、ペンバートンは配下の将兵およそ3万人とともに降伏を決断しました。

この降伏は、翌日のゲティスバーグの戦いにおける南軍の敗北と相まって、戦争の潮目を完全に北軍へと傾かせました。北軍がミシシッピ川の支配権を掌握したことで、南軍はテキサスやアーカンソーといった西部の諸州から切り離されることになったのです。

戦後のペンバートン

降伏の責任を問われ、南部の人々から厳しい批判を受けたペンバートンでしたが、圧倒的な物量差の中で数週間に及ぶ防衛を成功させたことは、軍事的観点から一定の評価を受けています。戦後は農場経営などに携わり、1881年にペンシルベニア州でその生涯を閉じました。

まとめ

ジョン・ペンバートンは、ヴィックスバーグの戦いにおいて南軍の最高指揮官として、要衝ヴィックスバーグの防衛とチャンピオンヒルでの決戦を率いた人物です。最終的には敗北と降伏を余儀なくされたものの、その戦いの帰結は南北戦争全体の行方を大きく左右する歴史の転換点となりました。