フィリピンの国民的英雄として敬愛されるホセ・リサール(José Rizal、1861年〜1896年)。彼はラグナ州カランバの裕福な農園主の家に生まれました。父フランシスコ・メルカドと母テオドラ・アルオンソの間には多くの子どもが生まれ、ホセは7番目の子として育ちました。
ここでは、ホセ・リサールの兄弟姉妹を出生順にご紹介します。
ホセ・リサールの兄弟姉妹一覧(出生順)
1. サトゥルニナ・リサール(1850年〜1913年)
長女。ホセにとって最年長の姉であり、マヌエル・イダルゴと結婚しました。弟ホセの書簡や遺品を大切に守り、後世に伝える役割を果たしたことでも知られています。
2. パシアーノ・リサール(1851年〜1930年)
長男で、ホセにとって唯一の兄。10歳年上のパシアーノは、ホセの思想形成に大きな影響を与えた人物です。ホセがヨーロッパへ留学した際にも学資を送り続けるなど、生涯にわたって弟を支えました。フィリピン革命期には将軍としても活躍しています。
3. ナルシサ・リサール(1852年〜1939年)
三女。抜群の記憶力の持ち主として知られ、ホセとの文通を長く続けました。1896年にホセが処刑された後、その埋葬地を突き止めたのはナルシサだったと伝えられています。
4. オリンピア・リサール(1855年〜1887年)
四女。シルベストレ・ウバルドと結婚しましたが、1887年に32歳の若さで亡くなりました。
5. ルシア・リサール(1857年〜1919年)
五女。マリアーノ・エルボーサと結婚し、家庭を支えました。
6. マリア・リサール(1859年〜1945年)
六女。ダニエル・ファウスティーノ・クルスと結婚しました。
7. ホセ・リサール(1861年〜1896年)
本記事の主人公であるホセは、7番目の子として生まれました。小説『ノリ・メ・タンヘレ』や『エル・フィリブステリスモ』でスペイン植民地支配の実態を告発し、フィリピン独立運動の精神的支柱となります。1896年12月30日にマニラで処刑されましたが、その死はフィリピン人たちの覚醒を促し、今日でも国民的英雄として崇敬されています。
8. コンセプシオン・リサール(1862年〜1865年)
八番目の子。「コンチャ」の愛称で親しまれていましたが、3歳で夭折しました。幼いホセが初めて死別の悲しみを経験した相手であり、後年の自伝的な記述にもその喪失が綴られています。
9. ホセファ・リサール(1865年〜1945年)
九女。生涯結婚せず、妹トリニダードとともに暮らしました。革命秘密結社カティプナンの女性部門に関わったとも言われています。
10. トリニダード・リサール(1868年〜1951年)
十女。ホセが処刑前夜、アルコールランプの中に隠して姉たちに託したとされる有名な遺稿(詩『我が最後の別れ』)を受け取った人物として知られています。姉妹の中で最も長寿であり、1951年に亡くなりました。
11. ソレダッド・リサール(1870年〜1929年)
末っ子。教師として働き、パンタレオン・キンテロと結婚しました。
「ハシント・リサール」について
一部の資料では、12人目の子として「ハシント・リサール(1876年〜1896年)」の名が挙げられることがあります。ただし、一般的に知られるリサール家の子どもは上記の11人であり、ハシントに関する確かな記録は確認されていない点にご留意ください。
まとめ
ホセ・リサールは11人きょうだいの7番目として生まれ、姉兄たちに囲まれて育ちました。兄パシアーノの献身的な支援を受けて学問を深め、姉たちはそれぞれの人生においてホセを見守り続けました。処刑後も姉妹たちは彼の遺産を守り抜き、リサール家の名はフィリピンの歴史に深く刻まれています。