世界周航を成し遂げた最初の探検隊を率いた男
マゼランの探検隊は1519年、スペインのセビリアから出航しました。大西洋を西へ横断し、南アメリカ大陸の南端を回って太平洋へと進みます。その後も西へ航海を続け、ついにフィリピンへ到達しました。しかし、マゼラン自身はマクタン島での戦いで命を落としてしまいます。それでも探検隊は航海を諦めず、残された船員たちが航海を引き継ぎ、人類史上初となる世界一周を成し遂げたのです。なお、生きて帰還したのはわずか1隻「ビクトリア号」と18名ほどでした。
出身はポルトガル、しかしスペインへ忠誠を誓う
マゼランはポルトガル北部の出身で、当初はポルトガルの探検家として活躍していました。ところが、後にポルトガル国王との争いに巻き込まれ、投獄されてしまいます。獄中から脱走したマゼランはスペインへ亡命し、スペイン王への仕官を申し出ました。スペイン王カルロス1世は東インド諸島を目指す遠征の資金提供に同意し、マゼランは1519年に歴史的な航海へ旅立ったのです。
マゼラン海峡を航行した最初のヨーロッパ人
東インド諸島への西回り航路を探索する中で、マゼランは南アメリカ大陸本土とティエラ・デル・フエゴ島の間にある狭い水路を通過しました。この水路は後に「マゼラン海峡」と呼ばれるようになります。強風、激しい海流、氷山などに加え、複雑な地形から、この海峡は現在でも世界で最も危険な航路の一つとされています。
自らの艦隊で反乱が勃発
遠征の途上、マゼランの乗組員たちは彼に対して反乱を起こしました。反乱を主導したのは艦隊の船長たち数名で、過酷な航海条件やマゼランの厳格な指導への不満が背景にありました。マゼランは機転を利かせて反乱を鎮圧し、首謀者たちを処刑することで艦隊の統制を取り戻しました。
マクタン島の戦いで迎えた最期
1521年4月27日、フィリピンのマクタン島で行われた戦いにおいて、マゼランは命を落としました。マゼラン一行は現地の先住民をキリスト教へ改宗させるために島を訪れていましたが、先住民の首長ラプ=ラプ率いる勢力はスペイン側に抵抗し、激しい戦闘の末にマゼランを討ち取ったのです。偉大な航海者は、夢見た世界一周の完遂を見ることなく、異国の地でその生涯を閉じました。