「中世の新聞はどのようなものだったのか?」という疑問を持つ人は少なくありません。しかし、結論から言えば、中世には新聞そのものが存在していませんでした。つまり、「中世の新聞」と呼べるものは実在しないのです。
なぜ中世には新聞がなかったのか
中世(おおよそ5世紀から15世紀頃まで)のヨーロッパでは、活版印刷技術がまだ普及しておらず、情報を不特定多数の人々へ定期的に伝える仕組みが確立されていませんでした。当時のニュースは、広場で声を張り上げて告知する町の触れ役や、手書きの文書、教会や市場での噂話などを通じて伝えられていました。
新聞の原型となったもの
新聞の直接の前身とされるのが、16世紀のイタリアで発行されていた手書きのニュースレター「アヴィージ(avvisi)」です。ヴェネツィアなど商業都市では、政治や経済に関する情報を金銭と引き換えに配布する業者が現れ、これが有料ニュースメディアの始まりと言われています。
世界初の新聞は1605年にドイツで誕生
印刷された定期刊行物として最初の新聞とされるのは、1605年に神聖ローマ帝国領内のストラスブール(現在のフランス北東部)で、書籍商ヨハン・カロルス(Johann Carolus)が発行した『Relation aller Fürnemmen und gedenckwürdigen Historien』(全ての著名かつ記念すべき歴史の報告)です。この出版物は週刊で発行され、世界初の印刷新聞として国際的に認められています。
まとめ
中世には新聞は存在せず、人々は触れ役や手書きの文書によって情報を得ていました。活版印刷の普及とともに情報伝達の形は大きく変わり、1605年のドイツ(ストラスブール)における定期刊行新聞の誕生へとつながっていったのです。