歴史上の人物

広島・長崎に原爆を投下した「エノラ・ゲイ」「ボックスカー」の乗組員名簿と確認できる場所

1945年、第二次世界大戦の終結に至る過程で、アメリカ軍は日本に対して史上初となる核兵器を使用しました。原爆が投下されたのは広島と長崎の2か所のみであり、それぞれ異なる航空機によって実行されました。

広島には1945年8月6日、B-29爆撃機「エノラ・ゲイ」からウラン型原爆「リトルボーイ」が投下されました。一方、長崎には同年8月9日、同じくB-29「ボックスカー」からプルトニウム型原爆「ファットマン」が投下されています。この記事では、両機の乗組員の氏名と役割、そしてそれらの情報をどこで確認できるのかを詳しく解説します。

乗組員の名前を確認できる場所

両機の乗組員に関する一次資料や展示は、以下の場所で見ることができます。

  • 国立アメリカ空軍博物館(アメリカ・オハイオ州デイトン):ボックスカーの実機を展示しており、任務に関する詳細な記録も公開しています。
  • スミソニアン国立航空宇宙博物館(アメリカ・ワシントンD.C.近郊):エノラ・ゲイの実機を展示し、乗組員の記録も紹介しています。
  • 広島平和記念資料館および長崎原爆資料館:被爆の実相とともに、投下作戦に関する資料を展示しています。
  • アメリカ国立公文書館(National Archives):公式な任務報告書や人事記録を閲覧できます。

また、これらの情報は信頼性の高い歴史書や百科事典、オンラインの百科事典サイトなどでも広く公開されています。

エノラ・ゲイの乗組員(広島への投下)

エノラ・ゲイには12名の乗組員が搭乗していました。主なメンバーは以下の通りです。

  • ポール・ティベッツ大佐(Paul W. Tibbets Jr.)―― 機長
  • ロバート・ルイス大尉(Robert A. Lewis)―― 副操縦士
  • トーマス・ファービー少佐(Thomas W. Ferebee)―― 投弾手
  • セオドア・ヴァン・カーク大尉(Theodore J. Van Kirk)―― 航法士
  • ウィリアム・パーソンズ海軍大佐(William S. Parsons)―― 兵器担当
  • モリス・ジェップソン中尉(Morris R. Jeppson)―― 兵器担当補助
  • ワイアット・ダズンベリー曹長(Wyatt E. Duzenbury)―― 飛行技師
  • ロバート・シュマード技術曹(Robert H. Shumard)―― 飛行技師補
  • リチャード・ネルソン一等兵(Richard H. Nelson)―― 無線通信員
  • ジョセフ・スティボリク技術曹(Joseph A. Stiborik)―― レーダー操作員
  • ジョージ・カロン技術曹(George R. Caron)―― 尾部銃手
  • ジェイコブ・ビーザー少尉(Jacob N. Beser)―― 電子妨害装置担当

ボックスカーの乗組員(長崎への投下)

ボックスカーには13名が搭乗していました。主なメンバーは以下の通りです。

  • チャールズ・スウィーニー少佐(Charles W. Sweeney)―― 機長
  • フレデリック・ボック大尉(Frederick C. Bock)―― 副操縦士
  • カーミット・ビーハン少佐(Kermit K. Beahan)―― 投弾手
  • ジェームズ・ヴァン・ペルト大尉(James F. Van Pelt Jr.)―― 航法士
  • フレッド・オリヴィ中尉(Fred J. Olivi)―― 第三操縦士
  • フレデリック・アッシュワース海軍中佐(Frederick L. Ashworth)―― 兵器担当
  • フィリップ・バーンズ中尉(Philip M. Barnes)―― 兵器担当補助
  • ジョン・クハレク曹長(John D. Kuharek)―― 飛行技師
  • レイモンド・ギャラガー技術曹(Raymond T. Gallagher)―― 飛行技師補・銃手
  • エドワード・バックレー技術曹(Edward K. Buckley)―― レーダー操作員
  • アルバート・デハート技術曹(Albert T. Dehart)―― 尾部銃手
  • ジェイコブ・ビーザー少尉(Jacob N. Beser)―― 電子妨害装置担当
  • スティーブン・グラハム中尉(Stephen G. Graham)―― 計器観測員

なお、ジェイコブ・ビーザー少尉は、両方の原爆投下任務に搭乗した唯一の人物として知られています。

まとめ

日本に原爆を投下したのは、エノラ・ゲイとボックスカーの2機だけです。乗組員の氏名は、国立アメリカ空軍博物館やスミソニアン博物館の展示、アメリカ国立公文書館の記録、そして広島平和記念資料館・長崎原爆資料館の資料などを通じて確認できます。この歴史的事実を正確に伝えることは、核兵器がもたらした悲劇を後世へ継承するうえで重要な意味を持っています。