マーシャル・プラン(欧州復興計画)は、第二次世界大戦後の冷戦史を理解するうえで欠かせない重要なテーマです。この記事では、大学入試などで実際に出題された問題を含む演習問題を4問用意しました。各問題の後に詳しい解説つきの解答を掲載していますので、知識の確認や試験対策にぜひご活用ください。
問題1(FATEC)
「アメリカが、世界の正常な経済力の回復のためにできる限りのことを行うのは理にかなっている。それなしには政治的安定も、平和の保証もあり得ないからだ。」(マーシャル・プラン – 1947年6月5日)
この文脈において、マーシャル・プランは何を意味するものでしょうか。
- a) 極東の平定というアメリカ外交政策の主要目標
- b) ラテンアメリカ諸国への産業支援プロジェクト
- c) ヨーロッパにおける共産主義拡大の重要な手段
- d) 軍産複合体の結集と並行して定められた、アメリカの孤立主義外交政策
- e) 北米資本がヨーロッパ諸国の経済へ浸透するための手段の一つ
問題2
「マーシャル・プランによる封じ込めにおいて、アメリカの戦略家たちは保守政権との提携を特別に好んだわけではなかった。実際、最も洞察に優れた者たちは、社会民主主義者こそ最良のパートナーだと見なしていた。彼らは計画と協力という概念にイデオロギー的に受容的だった。さらに重要なことに、彼らは民主左派を代表し、共産主義者と労働組合への影響力を分け合っていた。1950年代には、アトリーとビーヴィンに加え、ベルギーのポール=アンリ・スパーク、フランスのギー・モレ、オランダのウィレム・ドレス、ノルウェーのエイナル・ゲールハルセンといった社会民主主義の指導者たちが、ヨーロッパとアメリカ合衆国を結ぶ大西洋横断の架け橋を固めていった。」(BARBOSA, Elaine Senise; MAGNOLI, Demétrio.「挑戦されるレヴァイアサン」『自由 対 平等(第2巻)』リオデジャネイロ:Record, 2013年、100–101頁)
上記の著者たちが言及している「封じ込め」は、何に関連する概念でしょうか。
- a) モンロー主義
- b) トルーマン・ドクトリン
- c) ワルシャワ条約機構
- d) 独ソ不可侵条約(リッベントロップ=モロトフ協定)
- e) ブッシュ・ドクトリン
問題3(FGV)
1947年6月、アメリカ政府はマーシャル・プランと呼ばれるヨーロッパ復興計画の実施を開始しました。次のうち、この計画の原因として誤っているものはどれでしょうか。
- a) 欧州共同市場(ECM)の創設によってもたらされた恐怖
- b) 資本主義の中心がヨーロッパからアメリカへ移り、ヨーロッパ諸国への影響力が高まったこと
- c) 第二次世界大戦中に食料から軍需物資まであらゆる物資を供給した最大の債権者であるアメリカに対し、ヨーロッパが返済のために資源を確保する必要があったこと
- d) 大戦で破壊された都市の再建と、工業・農業の回復の必要性
- e) 西ヨーロッパの資本主義秩序を強化し、大陸における社会主義の拡大を防ぎたいというアメリカの思惑
問題4
1947年にアメリカの主導でマーシャル・プランが発表されたことに対するソ連の応答として打ち出された計画は、次のうちどれでしょうか。
- a) コメコンとFSB
- b) コミンフォルムとKGB
- c) コミンフォルムとコメコン
- d) コメコンと独立国家共同体(CIS)
- e) 独立国家共同体(CIS)とワルシャワ条約機構
解答と解説
問題1:正解はE
アメリカ合衆国は、第二次世界大戦の影響を受けたヨーロッパ諸国に対し、1948年から1952年までの約6年間で総額126億ドル規模の投資を行いました。この巨額の経済支援は、ヨーロッパ市場の安定化と同時に、北米資本が欧州経済へ影響力を及ぼす重要な足がかりとなりました。
問題2:正解はB
第二次世界大戦後のヨーロッパにおける共産主義の進出を封じ込めることは、ハリー・トルーマン大統領にちなむ「トルーマン・ドクトリン」の中心的な柱の一つでした。トルーマンとその閣僚たちは、ソ連が各国の現地共産党を通じてヨーロッパ諸国への共産主義の浸透を図る可能性があると警戒していました。これを防ぐためには、社会民主主義勢力、すなわちヨーロッパの民主左派との同盟が不可欠だと考えられたのです。
問題3:正解はA
欧州共同市場の構想は、むしろマーシャル・プランの結果として生まれたものです。アメリカが後押しした西ヨーロッパの復興は、被災国同士の政治的・経済的な統合に依存する部分が大きく、こうした流れがのちの欧州統合への道を開きました。したがって、「共同市場の創設への恐怖」が計画の原因であるという記述は誤りです。
問題4:正解はC
コミンフォルム(共産党・労働者党情報局)とコメコン(経済相互援助会議)は、マーシャル・プランに対するソ連側の応答でした。マーシャル・プランが西ヨーロッパで目指した「第二次世界大戦の被災国の再建」を、これら二つの機構は東ヨーロッパ諸国において、政治・経済の両面で実現しようとしたのです。