アメリカ第7代大統領アンドリュー・ジャクソン(在任1829年〜1837年)は、任期中に合計12件の法案に拒否権を行使しました。現代の基準で見れば少ない数字に思えますが、実はこれは彼以前の6人の大統領が行使した拒否権の総数(約9〜10件)を上回る、当時としては記録的な数字だったのです。
なぜジャクソンはこれほど多くの拒否権を行使したのか
それまでの大統領は、法案が憲法に違反していると判断した場合にのみ拒否権を使うのが通例でした。しかしジャクソンは、憲法上の問題がない法案であっても、単に政策方針に賛同できないという理由で拒否権を行使した、史上初の大統領でした。この姿勢こそが、拒否権行使の件数を押し上げた最大の要因です。
代表的な拒否権行使の事例
メイズビル道路法案の拒否(1830年)
ケンタッキー州内のみを走る道路建設への連邦政府の資金提供について、ジャクソンは連邦政府の権限を超えるものだとして拒否しました。連邦と州の権限バランスを重視する彼の政治哲学が表れた事例です。
第二合衆国銀行再特許法案の拒否(1832年)
最も有名な例であり、後に「銀行戦争」と呼ばれる激しい対立の発端となりました。ジャクソンは合衆国銀行を一部の特権階級だけが利益を得るエリート機関とみなし、一般市民の利益に反するとして拒否権を行使しました。
拒否権行使がもたらした歴史的影響
ジャクソンの積極的な拒否権行使は、大統領職の権限を大幅に拡張させました。批判者たちは彼を「アンドリュー王一世」と呼んで独裁的だと非難しましたが、一方で彼は「大統領も立法過程において議会と対等に渡り合う存在である」という重要な先例を作り上げました。
この先例は後継の大統領たちにも受け継がれ、現代アメリカにおける強力な大統領制の基礎の一つとなりました。つまりジャクソンは、拒否権を単なる防衛的手段ではなく、自らの政策を実現するための積極的な政治的武器へと変えた最初の大統領だったのです。