1787年5月13日、イギリスのポーツマス港を出発した「第一艦隊」は、11隻の船に約750名の流刑囚、海兵隊員、乗組員、そしてその家族たちを乗せた大船団でした。目的地は地球の反対側にあるオーストラリア。その航海は約8か月におよび、過密で不衛生な環境、劣悪な食料、激しい嵐など、まさに生死を懸けた旅路となりました。
第一艦隊の船上で何が起きていたのか
- 過密で不衛生な船内:輸送船には想定以上の人間が詰め込まれ、換気も不十分でした。そのため赤痢や腸チフス、壊血病などの病気が瞬く間に広まりました。
- 劣悪な食料:長い航海の間に保存食は傷みやすく、量も質も不十分でした。多くの人が栄養失調に苦しみました。
- 厳しい自然環境:赤道付近の灼熱、南大洋の荒波など、船団は幾度も嵐に襲われました。
- 事故と怪我:狭い船内での労働や転倒などにより、命を落とす人も少なくありませんでした。
各船に残る過酷な記録
スカーバラ号(Scarborough)
囚人たちが一斉に横になれるスペースすらなく、交代制で寝るしかないほど過密な状態でした。
シャーロット号(Charlotte)
食料の状態が極めて悪く、腐りかけの保存食を食べざるを得ない状況にありました。
サーイアス号(Sirius)
旗艦サーイアス号は数週間に及ぶ暴風雨に見舞われ、乗員たちは心身ともに疲弊しました。なお、この船は後の1790年にノーフォーク島沖で座礁・喪失しています。
フレンドシップ号(Friendship)
伝染病が発生し、特に多くの犠牲者が出た船として知られています。
よくある誤解と実際の記録
「アレクサンダー号(Alexander)が珊瑚礁に座礁し、乗っていた人々全員が溺死した」という逸話が語られることがありますが、これは誤りです。実際には、第一艦隊の11隻すべてが無事にオーストラリアへ到達しました。アレクサンダー号は船団最大の輸送船で、最も多くの囚人を乗せていましたが、航海中に難破することはありませんでした。
航海中の死亡率はどのくらいだったのか
第一艦隊の航海中の死者は約40〜50名とされ、全体の3%前後にとどまりました。当時の長期航海としては驚くほど低い数字です。「約20%が死亡した」という記述は、1790年の第二艦隊(死亡率は25%を超えたとも言われる)と混同されやすいものです。第二艦隊では輸送契約方式の変更により過積載が常態化し、「死の艦隊」と呼ばれるほど悲惨な状況となりました。
それでも成し遂げられた偉業
過酷な条件にもかかわらず、第一艦隊は1788年1月にボタニー湾へ到着し、まもなくシドニー湾(ポート・ジャクソン)へ移動してニューサウスウェールズ植民地が創設されました。この小さな入植地こそが、現在2,500万人以上が暮らす現代オーストラリアの出発点となったのです。