歴史クイズ

レピダスは二番目の指揮官で上位だった?三頭政治における本当の序列

古代ローマ史において、マルクス・アエミリウス・レピダスはしばしば「三頭政治の一人」として語られますが、彼の実際の地位については誤解されることも少なくありません。「レピダスは二番目の指揮官で上位だったのか?」という疑問に対して、歴史的な事実をもとに詳しく解説します。

レピダスとはどんな人物か

マルクス・アエミリウス・レピダス(紀元前89年頃~紀元前13年)は、ローマ共和政末期を代表する政治家・軍人です。名門アエミリウス家の出身で、ユリウス・カエサルの有能な部将として頭角を現し、カエサル暗殺後の混乱期には最高神祇官(ポンティフェクス・マキシムス)の要職にも就きました。

第二回三頭政治の結成

紀元前43年、レピダスはオクタウィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)とマルクス・アントニウスとともに「第二回三頭政治」を結成しました。これはローマ国家を三人で統治する正式な体制であり、カエサル暗殺者たちへの報復と政権の安定化を目的としたものでした。

答え:レピダスは「三番目」だった

結論から言えば、レピダスは二番目の指揮官ではなく、三人の中で最も下位の三番目でした。確かに彼は三頭政治の一員として正式な権力者でしたが、他の二人と比べると影響力は明らかに劣っていました。

領土配分から見える序列

この序列は、三人への領土配分からもよく分かります。オクタウィアヌスはイタリアと西方を、アントニウスは富める東方諸州を担当したのに対し、レピダスに与えられたのは比較的辺境のアフリカ属州だけでした。この配分自体が、彼が三人の中で最も発言力の弱い存在だったことを物語っています。

権力からの脱落

レピダスの立場は次第に弱まっていきます。紀元前36年、セクストゥス・ポンペイウスとの戦いの際、彼は独断で行動を起こそうとしましたが、自らの軍団兵たちに見捨てられ、オクタウィアヌスによって三頭政治家としての権限を剥奪されてしまいました。

ただし、彼は完全に失脚したわけではありません。最高神祇官の職は死ぬまで保持することが許され、アフリカでの統治も続けました。晩年は穏やかに過ごし、紀元前13年に亡くなりました。

まとめ

レピダスはオクタウィアヌス、アントニウスと並ぶ三頭政治の正式な一員ではありましたが、二番目どころか三人中最下位の三番目でした。領土配分の小ささや最終的な権力剥奪の経緯からも、彼が当初から周縁的な立場に置かれていたことが分かります。それでも歴史に名を残すことができたのは、カエサルの信任と最高神祇官という宗教的権威によるものと言えるでしょう。