1921年緊急割当法の結果はどうなったのか?
1921年緊急割当法(Emergency Quota Act、別名:1921年移民制限法)は、第一次世界大戦後のアメリカ合衆国で、南欧・東欧からの移民流入に厳しい制限を課すために制定された法律です。当時の米国では戦後の社会不安を背景に排外主義的な世論が高まっており、同法は、すでに米国に居住していた各国籍出身者の人口比に基づいて国別の受け入れ枠(クォータ)を設定することで、北欧・西欧出身の移民を優遇し、「望ましくない」とみなされがちだった南欧・東欧出身者を大幅に締め出しました。
主な規定のポイント
- 年間総枠35万7,803人: 移民全体の年間受け入れ上限が設定され、各国の割当枠は1910年の国勢調査における当該国籍の在留人口の3%として算定されました。
- 北欧・西欧優遇の設計: 人種的・文化的に米国との親和性が高いとされた北欧・西欧からの移民には有利に、親和性が低いと見なされた南欧・東欧からの移民には不利になるよう、制度そのものが設計されていました。
- 労働長官への拒否権限: 公的扶助に依存するおそれがある移民や、米国の健康・安全への脅威となりうる人物について、労働長官の判断で入国を拒否できる権限が与えられました。
- 割当の適用外となった集団: アジア出身者は1917年移民法の「アジア人禁止区域」などの既存法制と相まって事実上の入国禁止となり、一方でメキシコやキューバなど西半球諸国からの移民は割当枠の対象外とされました。
- 強制送還の規定: 入国の際に認められた条件に違反した移民については、国外への強制送還(退去強制)が可能とされました。
その後の展開――1924年移民法への移行
緊急割当法はあくまで暫定的な措置にとどまるものでした。1924年に成立した移民法(Immigration Act of 1924、通称:ジョンソン=リード法)がこれに取って代わり、1920年の米国人口における各国籍の構成比(全国民の出生地ベース)に基づく恒久的な割当制度を確立しました。ここに、1965年の移民国籍法改正まで半世紀近く続くことになる、出身国別の厳格な移民制限の時代が本格的に幕を開けたのです。