古代エジプト最後の女王クレオパトラ7世と、ローマの将軍マルクス・アントニウス(マーク・アントニー)の間には、3人の子供が生まれました。双子の男女と、その後に生まれた末っ子の男の子です。ここでは、それぞれの名前や与えられた称号、そして悲劇的な結末を迎えた両親の死後の運命について解説します。
長男:アレクサンドロス・ヘリオス
アレクサンドロス・ヘリオス(Alexander Helios)は、紀元前40年に生まれた双子の兄です。両親によって東地中海地域の共同統治者に任じられ、「王の中の王」という威光ある称号が与えられました。「ヘリオス」はギリシャ語で太陽を意味する名前です。
長女:クレオパトラ・セレネ2世
クレオパトラ・セレネ2世(Cleopatra Selene II)は、兄アレクサンドロス・ヘリオスと同じく紀元前40年に生まれた双子の妹です。母と同じ「クレオパトラ」の名を受け継ぎ、両親によりキュレナイカとリビアの共同統治者に任じられ、「女王の中の女王」という称号が授けられました。3人の子供の中で、最も歴史に名を残すことになった人物です。
次男:プトレマイオス・フィラデルフォス
プトレマイオス・フィラデルフォス(Ptolemy Philadelphus)は、紀元前36年に生まれた三番目の子供です。両親によってシリアとキリキアの共同統治者に任じられ、兄と同じく「王の中の王」の称号が与えられました。
3人の子供たちはその後どうなったのか?
紀元前31年のアクティウムの海戦でアントニウスとクレオパトラがオクタウィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)に敗れると、翌紀元前30年に二人は相次いで自ら命を絶ちました。
両親を失った3人の子供は、エジプト征服後の祝賀行列で引き回されたのち、ローマへ送られ、アントニウスの未亡人だったオクタウィアに引き取られて育てられました。アレクサンドロス・ヘリオスとプトレマイオス・フィラデルフォスについては、その後の記録がほとんど残っていません。
一方、唯一の歴史的記録が残るクレオパトラ・セレネ2世は、成長後にヌミディア王族出身のマウレタニア王ユバ2世と結婚し、王妃としてマウレタニアの統治に貢献しました。両親の血を引く彼女の子孫は、その後も数世代にわたり地中海世界で繁栄したとされています。