歴史クイズ

チャールズ1世はオリバー・クロムウェルを逮捕しようとしたのか?1642年の「五議員逮捕未遂事件」の真相

結論から言えば、チャールズ1世が反対派議員の逮捕に乗り出したのは事実です。ただし、歴史上有名な「逮捕対象の5人」の中にクロムウェルの名前は含まれていません。以下、詳しく解説します。

1642年1月4日、議会への武力介入

1642年1月4日、チャールズ1世は武装した兵士を率いてイングランド議会の下院に乗り込み、王権に批判的な指導者5名、いわゆる「五議員」の逮捕を試みました。その5人とは、ジョン・ピム、ジョン・ハンプデン、デンジル・ホリス、アーサー・ヘゼルリグ、ウィリアム・ストロードです。

クロムウェルは逮捕対象だったのか?

一般に語られる話では、この逮捕対象の中にオリバー・クロムウェルも含まれていたとされます。しかし、標準的な歴史記述において、五議員の中にクロムウェルは含まれていません。一方で、より広範な逮捕候補者のリストにクロムウェルの名があったとする説もあり、クロムウェル自身も晩年に「事前に警告がなければ捕らえられていた」と語ったと伝えられています。つまり「チャールズ1世はクロムウェルの逮捕をもくろんだのか?」という問いに対しては、確証は限定的であるものの、その可能性は十分にあったというのが実情です。

なぜ逮捕は失敗したのか

肝心の議員たちはすでに密告を受けており、全員が姿を消していました。彼らはロンドン市内に隠れ、ロンドン市当局や市民の強い支持の下に保護されていました。議場に踏み込んだ国王が「裏切り者はどこにいるのか」と問いかけても、議員は誰一人答えず、逮捕作戦は完全な空振りに終わりました。

事件の帰結――内戦への道

この武力による議会介入は、議会の特権に対する重大な侵害とみなされ、国王と議会の対立は決定的なものとなりました。まもなくイングランド内戦(清教徒革命)が勃発し、クロムウェルは議会軍の指導者として急速に台頭します。最終的にチャールズ1世は敗北して処刑され、イングランドは共和政(コモンウェルス)へと移行しました。

まとめると、チャールズ1世による議員逮捕の試みは歴史的事実であり、その失敗こそがイングランド革命の直接的な引き金となりました。クロムウェル本人が公式の逮捕リストに名を連ねていたかどうかは史料上の争点ですが、少なくとも彼が王権にとって危険視される存在であったことは間違いありません。