歴史物語

ニュルンベルク皇帝城(カイザーブルク)――神聖ローマ帝国の栄光を今に伝える名城

自由都市ニュルンベルクは、中世ドイツにおいて神聖ローマ皇帝たちが最も好んで居城とした場所の一つでした。13世紀末から14世紀にかけて統治したバイエルン出身の皇帝ルートヴィヒ4世は、この威容を誇る城で60回以上にわたり宮廷(廷臣会議)を開いたと記録されています。また、数多くの帝国議会も城内の広間で開催され、ニュルンベルクは帝国政治の要として栄えました。

ニュルンベルク皇帝城(カイザーブルク)――神聖ローマ帝国の栄光を今に伝える名城

金印勅書と帝都としての地位

1356年に金印勅書(ゴールデン・ブル)が制定されると、ニュルンベルクはドイツ民族の政治的・文化的中心地としての地位を確立しました。この勅書により、新皇帝が即位した際には最初の帝国議会を必ずニュルンベルクで開催することが義務付けられたのです。さらに1423年には、ジギスムント皇帝が帝国の至宝である王権象徴(帝国宝器)をニュルンベルクへ移して保管するよう命じたことで、同市の帝国的意義は決定的なものとなりました。

ナチス・プロパガンダと皇帝城

ナチ党はドイツ帝国の復活を掲げていました。彼らは中世以来の「血」の観念――血統が文化や言語に体現され、そこから権利と義務が生じるという考え方――に依拠し、ドイツ民族の復興を主張しました。そのため、過去の偉大な歴史の中に民族の栄光を見出す必要があったのです。

ニュルンベルク皇帝城(カイザーブルク)――神聖ローマ帝国の栄光を今に伝える名城

考古学と歴史学は、ナチスの宣伝家たちが自らの政策を正当化するために長年利用してきた道具でした。ニュルンベルク皇帝城のような民族的アイデンティティの象徴は、プロパガンダの中で繰り返し引用されました。実際、ニュルンベルクでは毎年ナチス党大会が開催され、街全体がナチス・イデオロギーの演出舞台とされたのです。

第二次世界大戦と戦後の復興

第二次世界大戦中、皇帝城は連合軍の空襲により甚大な被害を受けました。しかし戦後、入念な復元作業が進められ、城はかつての姿を取り戻しました。現在ではフランケン地方の中心都市ニュルンベルクを代表する観光名所となり、世界中から多くの訪問者が足を運んでいます。

城内では、市街を見渡す塔「ズィンヴェルトゥルム(Sinwellturm)」や、深さ約50メートルに及ぶ「深い井戸(Tiefer Brunnen)」などが見どころとして知られています。

ニュルンベルク皇帝城へのアクセス

皇帝城は旧市街の歴史的中心部に位置しているため、駅から徒歩でのアクセスが最適です。中世の街並みを散策しながら丘の上の城へ向かえば、その道のり自体が楽しい体験となるでしょう。公共交通機関を利用する場合は、トラム(路面電車)T4系統に乗り、「Tiergärtentor(ティーアガルテントーア)」停留所で下車してください。