歴史物語

サッカーの歴史|古代の起源からワールドカップ誕生まで

世界が熱狂する「国民的娯楽」サッカー

「国民的熱狂」と称されるサッカーは、今日、世界中の多くの人々の情熱を動員するスポーツです。なかでもFIFAワールドカップは、地球上で最大規模のスポーツイベントとされ、他の追随を許さない存在感を放っています。しかし、こうした団体球技の隆盛の裏には、英国人チャールズ・ミラーがこの競技の発明者とされる時代よりもはるかに古い、長い歴史が息づいています。

古代に遡るサッカーの原型

一部の研究によれば、サッカーの最初の形態は紀元前2500年頃の中国に見出されるとされています。この説では、兵士たちが斬首した敵の頭蓋骨を用いて活発な遊戯に興じていたといいます。一方、別の学者たちはサッカーの起源をマヤ文明に求めています。二つの集団に分かれたチームが固定された輪を狙うという競技で、その攻防は非常に激しく、敗れた側の指導者が死をもって罰せられたとも伝えられています。

こうした初期の形態は、通念として定着している「19世紀のイングランド起源」説よりもさらに遡る試みとして捉えられています。その前の世紀には「マス・フットボール(大衆フットボール)」と呼ばれる遊戯が行われていました。これはチェスターの町の二つの大きな集団が、ボールを町の門の一つへと運び込むことを競うものでした。

合理主義がもたらしたルールの確立

19世紀は、合理主義と進歩主義の理想が花開いた時代でした。その波及により、イギリスの日常生活のさまざまな場面に規範が設けられるようになります。この「標準化の波」に触れたサッカーは、現代のルールの大部分に影響を与え続ける13条の原初的ルールを獲得しました。合理的なルール体系を備えたサッカーは、まもなく当時の金融界や知識人エリートの間で格式高いスポーツとみなされるようになりました。

当時の記録によれば、サッカーに不可欠な競争心と素早い思考は、鋭敏で決断力のある精神を育む絶好の手段とされていました。ほどなくして、活気あふれるイギリスの労働者階級もこの競技を取り入れていきます。優れた娯楽活動である一方、一部の批評家からは「階級の革命的精神を和らげるもの」と見なされたサッカーは、労働者階級出身のチームを次々と生み出していきました。

クラブの誕生と商業化の始まり

工場主たちの出資によって、アーセナル(1886年)とマンチェスター・ユナイテッド(1878年)は、イングランドの地に生まれた最初期のクラブとなりました。ほどなく各チームによる大会が組織され、ますます熱狂的な観客を集めるようになりました。高い人気を得たクラブは施設への投資や、より優れた選手の獲得に乗り出し、起業家的な発想がこの収益性の高いスポーツのさまざまな場面を支配するようになっていきました。

サッカーの世界的普及とFIFAの誕生

ブラジルでは、サンパウロ生まれのイギリス人の子であるチャールズ・ミラーが、両親の故郷から最初のボール一式と競技規則の書物を持ち込みました。ラテンアメリカ全域でも、英語名を掲げた数多くのチームが創設されるなど、イギリス発祥のこの競技の普及が顕著になりました。短期間のうちに世界中へ広まったサッカーは、初のワールドカップ開催への条件を整えていきました。

当初、イギリスは歴史的な先駆者としての立場を背景に、この大会の運営を主導しようとしました。1870年にはイングランド王室の後援のもと、イングランドのチームのみが参加する最初の「世界」大会が行われたとされます。しかし1904年、フランスはFIFA(Fédération Internationale de Football Association/国際サッカー連盟)の創設を通じて、スポーツの普遍化を強く推進しました。同じ時期にサッカーはオリンピックの正式種目としても認められ、その後1930年にはウルグアイで第1回FIFAワールドカップが開催され、地元ウルグアイが初代王者に輝いています。

ナショナルチームの時代とブラジルの台頭

各国代表チームの創設は、競争力と技術の向上を大きく促しました。イギリス代表の当然視された覇権にはウルグアイ代表が真っ向から挑み、やがて国際サッカーの舞台の夜明けには数々のスターが登場するようになります。1950年代以降、ブラジルはペレやガリンシャといった最初の偉大なスターたちを輩出しました。「サッカー王国」として知られるようになったブラジルは、いわゆる「ボールの世界」において、今や欠かすことのできない重要な存在となっています。