今ならスマホ一つで部屋探しも、フケ対策も、評判の医師探しも瞬時に済む。しかしインターネットのない戦間期(1918〜1939年)、人々の「掲示板」だったのが新聞の広告欄だった。
一面がドイツ情勢やポーランド経済の成長、リタ・ゴルゴノヴァ事件といった大事件で埋まる裏側で、最終ページは今のOLXやジモティーさながらの活気を見せていた。失せ物探し、人探し、コートを譲る、カナリアを買いたい――そんな庶民の切実な声が、日刊紙の末尾に並んでいたのだ。
平日25グロシ、日祝32グロシ──言葉単位の値段表
各紙独自の広告料金表があり、価格は複数の要素で決まった。最も一般的だった「分類広告(クラシファイド)」は最終ページに掲載され、「料理人募集」「使用人募集」といった声が飛び交った。
1930年の『イルストロヴァニ・クルィエル・コジエンヌ(図解日刊クーリエ)』では語数で課金された。平日1語25グロシ、日祝32グロシ。求職者向けは安く、それぞれ10・12グロシ。一方、縁談広告は高額で、平日30グロシ、日祝40グロシもした。掲載位置指定、表組み、赤刷り、太字見出し、枠線などは別途有料だった。
高いか安いか。当時の物価で見ると、牛乳1リットル45グロシ、小麦粉1kg86グロシ、卵1個18グロシ。ある縁談広告「知的・30歳・良家出身・立派な地位、不幸な黒髪の娘、文化的地位の30〜45歳紳士と結婚希望。応募は『正しい心』係まで」は、牛乳20リットル分に相当した。
「気楽な平和」を求めて──住まいと仕事のマッチング
不動産広告は定番だった。長屋丸ごと購入から気軽な下宿まで、あらゆる選択肢が並ぶ。「エレガントな二間、気楽に」「独身者向け部屋」「外勤の令嬢向け部屋」など、現代さながらのターゲティングが見られる。借り手側も「医師」「事務員」「裕福な医学生」と職業を明記し、信用をアピールした。
「料理付き万能女中」は定番フレーズのように繰り返されたが、条件を細かく指定するケースも。「4月1日から宮廷勤めの家政婦兼料理人、高級料理・家禽飼育・アイロンができる方」──1928年『クルィエル・ポズナニスキ』の募集だ。事務員、店員、裁縫師、販売員など、家事労働以外の職種募集も多かった。

手に職がなく技術を習得したい人向けの講座広告も充実していた。「職業選択を決める時!」と煽り、ポーランド初の「自然療法講座」を告知する広告(1939年5月『クルィエル・ポズナニスキ』)や、速記・簿記・洋裁パターン講座が人気だった。ユ・シフィタルスカ医師は「合理的化粧療法と治療マッサージ講座(4ヶ月)」を衛生局認可済みと強調し、専門性をアピールした。
死亡広告、遺失物(書類、宝石、ハンドバッグ、動物)も日常的だった。『クルィエル・ワルシャフスキ』(1934年8月25日)には、狼犬「フール」を「謝礼付きで」探すカロル・ボロフスキの広告や、ジラールドフ〜ワルシャワ間の列車でスーツケース(書類入り)を紛失した広告が並ぶ。
「高級カヤック」売ります──驚きの売買ラインナップ
売買欄の品揃えは驚くほど多彩だ。1936年『クルィエル・ポズナニスキ』の一例:ピアノ(「エッケ製、黒、クロス……時々譲渡」)、春夏紳士服地(「不燃・不発光、最高級」)、ベビーカー(「米国製白、良好」)、そして「二人乗り高級カヤック」。
薬品広告も目立った。フケ、肝斑、神経症、ソバカス、痔、動脈硬化……「医師・薬剤師に相談を」の断り書きなしで万能薬を謳う。その裏で、性病を「秘密厳守」で治療する診療所広告が医療の実態を補っていたのかもしれない。
コンドーム通販広告もあった。「ダメだ! 最新価格表(5タイプ)を入手するまでコンドームやその他予防用品を買うな。2.50ズウォティで送付」という挑発的なコピーだ。マナー本『社交での振る舞い方』(1.50ズウォティ、切手払い)をプリシェミシルのヴァール書店が郵送販売する広告や、「夫の衰弱」ハンドブックで「男性無力症」を謳う怪しげな通信販売も見られた。

実用広告の合間に、不思議な魅力を放つのが占い師広告だ。「有名占い師アダレラ」「著名透視能力者ゴルドーニ」が『クルィエル・ポズナニスキ』に住所を載せた。ゴルドーニは「39歳までのホロスコープ、詳細版5ズウォティ、ワルシャワ・シチグレ通り11-21」。対抗して「妖精好き」のエウゲニア・パレイは「たった1ズウォティ! 過去から未来を驚くほど的中」と安さを売りにした。助産師の広告も多く、生活密着サービスとして定着していた。

縁談広告:「あなたに会える……」願望カタログのような条件提示
縁談広告は独立したカテゴリをなした。自分の属性(「貧しい」「働き者」「ハンサム」「良家の独身男性・真面目な地位」)に加え、相手への具体的要求が並ぶ。
「年上の独身男性または未亡人、下級公務員希望」
「伴侶探し、27〜45歳、経済的・物質的に自立、容姿不問、別居中可」
「私の職業勉強を物質的に助けてくれる素敵な女性と結婚希望、ハンサムな28歳……」
まるでカタログ注文のようだ。恥ずかしがり屋は友人経由で出稿も可能:「友人二人、黒髪25歳・金髪23歳、アパートと家具あり、結婚相手募集。写真付き応募可」。
広告が実って結婚となれば、式準備も広告欄で。燕尾服・ドレスの仕立て屋、招待状印刷(ポズナンなら「エクスプレス印刷、12月5日価格」)まで見つかった。
個人だけでなく企業・官公庁も活用した。『イルストロヴァニ・クルィエル・コジエンヌ』には税関による「競売公告」が掲載され、1930年3月18日午前11時、ポズナンでレモン202箱(総重量8,066kg)とオレンジ198箱(7,657kg)が競売にかけられた。
訂正広告も面白い。ドマンスカ・ノヴィスカ氏が1930年同紙で「私は仕事を探しておらず、誰にも探す権限を与えていない」と否定広告を出している。お節介な誰かが勝手に応募したらしい。
「探します、探します……」──戦争が変えた広告の顔
第二次世界大戦勃発で主要紙は幕を閉じた。1939年9月まで『ポルアニー・クルィエル』『クルィエル・ワルシャフスキ』らは通常営業を続けたが、最終号間際になると広告の性質が変わる。行方不明者を探し、家族・友人の消息を求める切実な広告が増えたのだ。
カジミェシュ・ドゥデク――帰宅せよ、または帰還者経由で伝言を。彼の消息を知る者は家族まで。クラクフ・ポドグジェ、パルコワ通り1-11
占領下では、全く異なる新聞文化が始まることになる……
参考文献
- Łojek Jerzy, Myśliński Jerzy, Wladyka Wiesław, History of the Polish press, Interpress, Warsaw 1988
- Paczkowski Andrzej, The Polish Press in 1918-1939, PWN, Warsaw 1980
資料:
"Ilustrowany Express Wieczorny" R. 2, nr 297 (1931.4.23)
"Ilustrowany Express Wieczorny", R. 21, nr 55 (1930.3.1)
"Ilustrowany Kuryer Codzienny" R. 21, nr 72 (1930.3.18)
"Ilustrowany Kuryer Codzienny" R. 21, nr 177 (1930.7.5)
"Ilustrowany Kuryer Codzienny" R. 30, nr 243 (1939.9.3)
"Ilustrowany Kuryer Codzienny" R. 30, nr 250 (1939.9.19)
"Kurier Poznański", R. 23, nr 26 (1928.1.17)
"Kurier Poznański", R. 23, nr 124 (1928.3.15)
"Kurier Poznański" R. 31, nr 175 (1936.4.15)
"Kurjer Warszawski: wieczorny" nr 310 (1932.11.9)
"Kurjer Warszawski: wieczorny", R. 114, nr 233 (1934.8.25)
"Kurjer Warszawski: wieczorny", R. 115, nr 347 (1935.12.18)
"Kurjer Warszawski: wieczorny", R. 116, nr 58 (1936.2.28)
"Kurjer Warszawski: wieczorny", R. 117, nr 143 (1937.5.27)
"Kurjer Warszawski: poranny" R. 119, nr 260 (1939.9.20)
"Tygodnik Przemyski" R. 4, nr 24 (1930.6.14)