歴史物語

アナスタシア・ロマノワ生存説――皇帝ニコライ2世の娘は処刑を生き延びたのか?

1920年、ベルリンに一人の少女が現れ、奇跡的に生き延びた皇帝ニコライ2世の娘であると主張しました。処刑の場から逃げ延び、ロシアからドイツへたどり着いたというのです。この「皇女」には熱心な支持者がいる一方で、強固な懐疑論者も数多く存在しました。果たして彼女の話に真実はあったのでしょうか?

皇帝ニコライ2世とその家族に降りかかった運命は、人道とは程遠いものでした。1918年7月16日から17日にかけての夜、エカテリンブルクのイパチェフ館の地下室内で、チェーカー(ソビエト秘密警察)によって皇帝夫妻と五人の子どもたちへの虐殺が実行されたのです。

部屋の床は体液と、銃剣で斬られた遺体の破片で滑るほどでした。生きてその場を出られる者など、誰もいないかに見えました。しかし、本当にそうだったのでしょうか?

「皇女アナスタシア」を名乗った80人

レーニンは、ロマノフ家最後の一族の悲劇的な最期を極秘にするよう命じました。しかし、すべてを隠し通すことは不可能でした。処刑の夜、エカテリンブルクの住民は銃声を聞き、翌朝には邸宅がもぬけの殻になっていることに気づいたからです。

ボリシェヴィキが恐れたのは、皇帝一家の残忍な殺害に対する世間の反応でした。民衆に嫌われた君主を殺すことと、皇后アレクサンドラ・フョードロヴナ(ドイツ出身で、ヴィクトリア女王の孫娘でもありました)、四人の若く美しい皇女たち、そして病弱な未成年の皇太子を殺すことは、まったく別次元の問題だったのです。

アナスタシア・ロマノワ生存説――皇帝ニコライ2世の娘は処刑を生き延びたのか?

1920年当時のアンナ・アンダーソン。

そこでボリシェヴィキが選んだ戦略は、偽情報工作でした。このプロパガンダ・キャンペーンは大きな効果を上げます。イウォナ・キエンズラー著『支配者たちの謎めいた死』によれば、「ロシアからの脱出に成功しデンマークで暮らしていた皇帝の母マリア・フョードロヴナは、息子ニコライの死から10年経ってもなお、彼が生きていると信じ続けた」というのです。

同じ頃、ヨーロッパ中に噂が飛び交っていました。ニコライの子どもの一人が奇跡的に助かったという報告とともに、自分こそロマノフ家の血を引いていると主張する詐欺師たちも続々と現れたのです。彼らの多くは皇太子アレクセイか、皇帝の末娘アナスタシアを名乗りました。ロシア最後の皇帝史の研究家ロバート・K・マッシーは、こう指摘しています。

彼らの話には共通した始まりがある。エカテリンブルクの処刑人の中に、心ある人物(あるいは複数の人々)がいて、ロマノフ家の一人、二人、三人、さらには家族全員の脱出を許したのだという。また多くの物語に共通する動機となったのが、西側の銀行に預けられたニコライ2世の莫大な財産の存在を信じる思いであった。

イギリスの研究者たちの計算によれば、世界中で合計約80人の「奇跡的に生き延びた」皇女が「発見」されたということです。そのほとんどは一目見ただけで、ロマノフ家とは何の関係もないことが明らかでした。しかしその中に、ただ一つ、主張に説得力のある人物がいたのです……

大公女か、それとも天才的詐欺師か?

世界が彼女について初めて耳にしたのは1920年のことでした。自殺未遂の後、精神病院で数ヶ月の療養を経て、さらにアルトゥール・フォン・クライスト男爵の屋敷に移った彼女は、突如として口を開いたのです。それまで彼女は頑なに沈黙を守り、眠りの中でだけ異国の言葉――ロシア語とみなされる言葉――をつぶやくばかりでした。最初の一言で、周囲の世話人たちは驚愕しました。彼女は自分の名を「アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノワ」であると告げたのです。

アナスタシア・ロマノワ生存説――皇帝ニコライ2世の娘は処刑を生き延びたのか?

この宣言を裏付ける証拠も、少なくともいくつかは存在していました。第一に、皇室と宮廷の生活に関する詳細な知識を持っており、それは本物のニコライの娘にしか知り得ないものばかりでした。第二に、奇跡的な救出についてかなり筋の通った話を語りました。さらに彼女は驚くほどアナスタシアに似ていたのです。若き皇女の写真を見た人々は皆、その点で意見が一致しました。髪と目の色だけでなく、足の変形まで一致していたのです!

もちろん、当初「ミス・アンノウン(名もなき女性)」と呼ばれていた彼女の話を疑う者もいました(彼女自身は書類作成のため、後にアンナ・アンダーソンという身元を名乗ることになります)。そこでこの自殺未遂の女性は、一連の試験にかけられることになりました。

懐疑論者たちを驚かせたことに、彼女は筆跡鑑定や、親友であったクセニア・グレゴリエヴナ公女との対面といった試験に合格していきました。しかし、すべての人が納得したわけではありません。そもそも彼女はロシア語もフランス語も話せず、加えてより踏み込んだ質問をされるとヒステリーを起こして叫び出すのです(本人はトラウマのためと説明しました)。イウォナ・キエンズラーは著書の中で、次のように綴っています。

本物のアナスタシアの祖母にあたるマリア・フョードロヴナは、奇跡的に生き延びた皇女のニュースに対して慎重な姿勢を取り、側近の宮廷女性の一人をベルリンへ派遣した。その女性は、引き合わせられた人物が確かにニコライ2世の末娘に非常によく似ているとは認めたものの、確信をもってその身元を確認することはできなかった。自称大公女の親族二人も同様の立場を取った。叔母にあたるオルガ大公女と、プロイセン王女イレーネである。

アナスタシア・ロマノワ生存説――皇帝ニコライ2世の娘は処刑を生き延びたのか?

ニコライ2世とその家族の処刑が執行された地下室。

では、どちらが正しかったのでしょうか? 1984年、アンナ・アンダーソンの死後長い時を経て、遺伝子検査がついに決定的な結論を下しました。彼女は偽者だったのです。実際のところ、彼女の本名はフランチスカ・シャンツコフスカといい、カシューブ地方(ポーランド北部)の出身で、ロシアを訪れたことさえ一度もなかったのです。

長年の捜索の末、考古学者たちはロマノフ家の遺体の埋葬地を突き止め、DNA分析によってその身元を確認することにも成功しました。それでもなお、ヴェニアミン・アレクセーエフやマルク・フェローのように、検査結果は捏造されたものであり、アナスタシアは生き延びたのだと主張する歴史家たちが少なからず存在します。そもそも彼女の名前は、ギリシャ語で「復活する者」を意味しているのですから……

関連図書

本記事の内容は、イウォナ・キエンズラー著『支配者たちの謎めいた死』に基づいています。お近くの書店でお求めください。