ハリー・ラフリンとは何者か
ハリー・ラフリン(Harry Laughlin)は、アメリカの優生学者であり、1910年から1940年にかけてニューヨーク州コールド・スプリング・ハーバーにある優生学記録事務所(ERO)の所長を務めた人物です。彼はアメリカ優生学運動の中心的存在であり、ナチス・ドイツの人種政策に多大な影響を及ぼしました。
「積極的優生学」への傾倒と差別的思想
ラフリンは、いわゆる「積極的優生学」の強力な推進者でした。これは、「適切な」個人には子孫を残すことを奨励し、「不適切な」個人の繁殖を抑制することで、人類の遺伝子プールを改善しようとする思想です。彼は精神障害者、貧困層、そして南欧・東欧からの移民といった特定の集団を遺伝的に劣っているとみなし、彼らが子孫を残すことを阻止すべきだと主張していました。
ナチス政権との密接な関係
ラフリンの研究や業績は、ナチスの優生学者や人種衛生学者たちによって頻繁に引用され、ナチス政府自身も幾度となく彼に助言を求めました。さらに彼は、ナチス政権が強制断種(不妊手術)計画や安楽死計画を策定する過程においても、積極的に協力したとされています。
ラフリンがナチスの人種政策に与えた影響は非常に大きく、ナチスの人種観や優生学観の形成に深く関わりました。その思想は、ユダヤ人やロマ(シンティ・ロマ)などの人々に対する組織的な差別と絶滅を正当化する根拠の一つとなってしまったのです。
戦後の評価と晩年
第二次世界大戦後、ラフリンは連合国側から戦争犯罪の容疑をかけられましたが、実際に裁判にかけられることはありませんでした。彼は1941年、63歳でこの世を去りました。