レオニード・ブレジネフの唯一の娘ガリーナは、父親にとって何よりの宝物でした。彼が愛情を込めて「ガローチカ」と呼んだその娘は、しかし最期にはアルコール依存症に蝕まれ、精神病院へと収容されることになります。
彼女は党のキャリアなど夢見たことはありませんでした。心を惹かれていたのは芸術の世界で、女優になることさえ望んでいたのです。しかし父親がそれを許しませんでした。それでもガリーナは生涯をソ連の芸術家たち――いわゆるボヘミアンの中で過ごし、役人よりも芸術家を好みました。巻き起こすスキャンダルは数知れず、ブレジネフはこうこぼしたといいます。「片方の目で国の動向を見守り、もう片方の目でガリーナを見ている」と。
クレムリンの王女をめぐる男たち
ガリーナが初めて結婚したのは1951年、22歳のときでした。当時、父レオニード・ブレジネフはモルダビア共産党中央委員会第一書記。娘はキシナウ国立大学の文献学部に在籍していました。最初の夫との出会いは、巡業サーカスが町にやってきた日のこと。観劇に出かけたガリーナは、曲芸師にして怪力男のエフゲニー・ミラーエフに恋に落ちます。相手は20歳年上で妻に先立たれた身、3歳の双子を育てる父親でした。
二人はほどなく結婚し、ガリーナはサーカスとともにキシナウを去りました。1年後、娘ヴィクトリアを連れて戻ると、子供は祖父母であるレオニードとヴィクトリア夫妻に預けられます。ガリーナ自身は60年代初頭まで、衣装係として夫の巡業に同行しました。おかげでミラーエフは華々しいキャリアを築き、「社会主義労働英雄」の称号を授与され、後にモスクワのヴェルナツキー大通りにあるサーカスの団長に就任します。しかしこの結婚も、夫の不貞が原因で破綻しました。
娘の奔放な恋愛模様には、レオニード・ブレジネフも頭を抱えるばかりでした。
1962年、33歳になったガリーナは再婚します。相手はなんと18歳の奇術師、イーゴリ・キオ。二人はキオが興行中だった保養地ソチで式を挙げました。ブレジネフは激怒します。彼の命令により、KGBの将校たちが新婚夫婦の宿るホテルの一室に押し入り、婚姻の証印が押された書類のページを破り取ったのです。結婚は瞬く間に無効化されました。とはいえ、イーゴリとガリーナはその後さらに3年間、関係を続けています。
超常的な介入
娘の恋多き人生は、レオニード・ブレジネフを絶望の淵へ追い込みました。彼自身は生涯を通じて、妻ヴィクトリア一筋の夫でした。悩める父親の最後の頼みの綱となったのが、超能力者にして魔術師と謳われたウォルフ・メッシングです。ソ連共産党中央委員会書記長は彼に「超常的な介入」を依頼しました。ガリーナについにまともな夫を見つけてほしい、というのです。ただし条件がひとつありました。相手の男性はどんな「真面目な職業」でも構わないが、芸術家だけは絶対に不可、というものです。
魔法が効いたのか、それとも単なる偶然だったのかは定かではありませんが、ほどなくしてガリーナは、刑務所勤務の職員ユーリ・チュルバノフと出会います。彼はガリーナとの結婚のために離婚し、二人の子供を置いてきました。チュルバノフにとって、ソ連の「ファースト・ドーター」との結婚は出世への近道でした。さえない少佐だった彼は、大佐、中将、上級大将へとめまぐるしく昇進し、ついにはソ連内務次官の座にまで上り詰めます。
レオニードは生涯、妻ヴィクトリアに忠実でした。
しかしガリーナは、この結婚に幸せを見いだせませんでした。彼女の心は相変わらずボヘミアン的な男たちへ向かっていたのです。名バレエダンサーのマリース・リエパや、サーカス芸人のボリス・ブリャカとのロマンスも伝えられています。
ダイヤモンドは女の親友
ガリーナは高価な宝石をこよなく愛しました。最高級の宝石店に足しげく通い、書記長の娘という立場を生かして、一般客の目に触れない棚の奥の品々にもアクセスできました。お金がないときは手形で支払い、店主たちはそれを快く受け入れたといいます。しかしブレジネフの死後になって初めて明らかになったのは、娘が抱えていた借金――なんと80万ルーブルにものぼる額だったのです。比較のために言えば、当時の技術者の月給は130〜150ルーブルにすぎませんでした。
ガリーナとその取り巻き――クレムリン要人たちの妻や娘たちは、値上げの時期を常に先回りして把握していました。値上がり直前に宝石を大量に買い込み、高値で転売していたのです。しかし時が経つにつれ、党エリート向けの店ですらガリーナの欲求を満たせなくなります。彼女は西側から密輸された装身具を買い始め、やがて違法に入手されることが多い骨董品へと対象を広げていきました。ガリーナは愛人の一人であるボリス・ブリャカらとともに犯罪グループを結成し、それは後年「ダイヤモンド・マフィア」と呼ばれるようになります。
ある夜のパーティーで、ガリーナは作家アレクセイ・トルストイの未亡人と出会いました。彼女はかつてフランス王ルイ15世が所有していたというダイヤモンドを身につけていたのです。しばらく後、この女性は強盗に襲われました。民警に変装した一味が部屋に押し入り、主人と使用人を縛り上げたのです。その直後、モスクワは美しいダイヤモンドの収集家として知られた名女優ゾヤ・フョードロワの残忍な殺害事件に衝撃を受けました。犯人はついに見つかりませんでしたが、被害者の指輪がガリーナ・ブレジネワの指にはめられているところを、幾度となく目撃した者がいたといいます……。
「ダイヤモンド・マフィア」の手は、ライオン使いのイリーナ・ブグリモワにも及びました。当然、疑いの目はガリーナとその「友人たち」に向けられます。事件の直後、シェレメーチェヴォ第2国際空港で、ブグリモワ・コレクションの宝物を胃の中に隠し持った運び屋が拘束されました。男はボリス・ブリャカから貴重品を受け取ったと供述し、ブリャカには懲役8年の判決が下されます。もちろん、書記長の娘に手を出す者は誰一人いませんでした。
「クレムリンの王女」の悲しい最期
1985年、ペレストロイカの到来とともに、かつて権勢を誇ったユーリ・チュルバノフに厳しい時代が訪れます。汚職と職権乱用の罪に問われた彼は、1987年1月に逮捕され、正式に有罪判決を受けました。ガリーナは1991年、夫がまだ獄中にあるうちに離婚しています。
ガリーナ・ブレジネワは女優を志したが、父はそれを許さなかった
ガリーナは長年、習慣的に酒を飲み続けていました。1994年8月、娘ヴィクトリアは精神科医を伴って母の部屋を訪れ、必要な書類を整えたうえで、ガリーナを精神病院へ移送します。母を施設に入れる決断について、ヴィクトリアはこう語っています。
「母は毎日酔った状態で私に電話をかけてきて、『飲み仲間に一杯ごとに騙されて、持ち物を奪われる』と愚痴をこぼすのです。私は母のもとへ行き、食料を買って少しのお金を渡す。そして翌朝、また同じことの繰り返し。部屋に行くと、いつもホームレスやアルコール依存症の人たちがうろついていて(…)」。住人たちは酔っ払いの喧の喧騒になど慣れていません。「ある朝、建物の管理人から緊急の電話があり、すぐに母のもとへ向かうよう言われました(…)。住人たちは廊下へ飛び出し、民警が下で待ち構えている。騒音、混乱、そして床一面に散らばる割れたガラス。どうやら『飲み仲間』たちが、朝出かける際に網入りガラスの扉を割ってしまったらしいのです。誰かが警察に通報して(…)」。
近隣住民たちは、自棟での酔っ払いの争いを二度と許さないと明言しました。何度も母を更生施設に入れた経験のあるヴィクトリアは、もっと抜本的な措置が必要だと悟ります。こうしてガリーナは精神病院へ入りました。そして4年後、彼女はその施設で静かにこの世を去ったのです。