ヒトラーへの暗殺未遂は有名だが、スターリンは?
ミュンヘンのビアホールや「狼の巣」におけるヒトラー暗殺未遂事件は、歴史の授業で習うほど有名だ。では、スターリンについてはどうだろう。実は、このソ連の独裁者の命も少なくとも数回、「仕組まれた」攻撃の標的となっていた。しかも、その内容はきわめて特異なものばかりなのである。
そのうちの一つについて、ソ連指導者の個人警護を務めていたワシレフスキという人物が証言している。出来事が起こったのは、独ソ開戦前の最後の数年間。スパイや工作員、暗殺者がどこにでも潜んでいると疑心暗鬼に陥っていたスターリンの偏執症が頂点に達しつつあった時代だ。ソ連共産党(ボリシェヴィキ)書記長は黒海沿岸で休暇を過ごしており、ある日、ボート遊びを思いついた。小島のそばを航行中、突然の大砲の発射音を耳にすると、スターリンはパニックに陥り、即座に引き返すよう命じたという。
公式調査の結果はどうだったのか。「島の守備隊員たちが司令官の暗殺を企てた」という結論だった。しかし実際には、大砲は空に向けて発射されたもので、近くの海岸にいる兵士たちに警戒態勢を知らせる合図だった。守備隊員の一人が事故に遭い、病院へ搬送するためモーターボートを呼ぶ必要があったのである。暗殺未遂など起きていなかったことは明白だったが、スターリンは説明に耳を貸そうともせず、自分が味わった恐怖を決して許そうとしなかった。「犯人」とされた隊員たちとその指揮官は、直ちに逮捕された。
この一件は不幸な偶然による悲劇だったが、スターリンに対するその他の「暗殺未遂」は、NKVD(内務人民委員部)長官ラヴレンチー・ベリヤが入念に演出したものだった。彼はスターリンを常におびえさせ続けることで、権力の頂点における自らの地位を盤石にしようとしたのである。

ベリヤ、スターリン、そしてスターリンの娘。ヨシフ・ヴィッサリオノヴィチが真実を知っていたら……。
クリミア沖での「襲撃」劇
スターリンとベリヤがクリミアの山がちな海岸線に沿って航行していたとき、突然、男たちの一団が艇に向かって発砲した。ベリヤは英雄的に身を挺して指導者をかばい、NKVDの将校たちは瞬く間に襲撃者全員を射殺した――ように見えた。実は、これはすべて事前に計画された芝居だったのだ。襲撃者たちもNKVDの所属で、装備していたのは空砲。ところが、自分たちの「攻撃」が本物の弾丸で迎撃されることになっているとは、おそらく誰も告げられていなかった。分隊は全員、撃たれたのである。
料理人を罠に落とした卑劣な手口
もう一つの「事件」は、そこまで手の込んだものではなかった。舞台はスターリンの別荘。ベリヤが夕食に招かれた際のことだ。彼は先に厨房で料理人と世間話をし、こう持ちかけたという。
ベリヤ(……)は料理人に、銃を持っているかどうか尋ねた。
「いいえ」と料理人は答えた。「私のような者に銃なんて何の必要があります?」
「同志スターリンを守るためならどうだ。君は彼のすぐ側に仕える身なのだから、必ず武器を携帯すべきだ」
料理人はおとなしくベリヤから拳銃を受け取り、仕事に戻った。夕食の支度が整うと、彼は自ら料理を運んだ。その瞬間、ベリヤは突然立ち上がり、「銃を返せ!」と叫んだ。料理人はパニックに陥り、拳銃に手を伸ばして弁明しようとした……が、ベリヤは待たなかった。「暗殺者にして革命の敵」をその場で射殺し、スターリンからさらに大きな信頼を勝ち取ったのである。
これらの話は本当に実在したのか
果たして、以上の逸話は真実なのだろうか。断定は難しい。これらは1989年に出版された逸話集『スターリンの私生活』に収録されているものだ。著者のユーリー・ボリエフは、自らが耳にしたさまざまな逸話や証言を紹介してはいるが、その真偽を検証しようとはせず、多くの場合、出典すら明示していない。とはいえ、この3つの話だけは、かなり信憑性が高いと言えるかもしれない。ちなみに同書は、今日の歴史書とは比較にならないほど、実に20万部という発行部数を記録した。
出典:
- ユーリー・ボリエフ『スターリンの私生活』、Oficyna Literatów「Rój」、ワルシャワ、1989年。