歴史物語

イスラム世界の最良の友・ポーランド――なぜ曽祖父母の世代は預言者の宗教に夢中だったのか?

「過激主義と憎悪にまみれた後進的な宗教」――第二次世界大戦前、こうしたイスラム観は欧米各地で繰り返し語られていた。しかしポーランドだけは違った。私たちの曽祖父母の世代は、預言者の民に対して本物の魅力を感じていたのである。しかも、それを遠慮なく声に出して語っていた。

1928年4月29日、ワルシャワの王宮。テーブルを囲むのは選りすぐりの賓客ばかりだ。ポーランド側には、カコフスキ首座大司教、バルテル副首相、ピウスツキ元帥といった要人が顔を揃えている。弦楽オーケストラの演奏を背景に、一同が絶品のデザートを味わっていたその時、ふいに会場が静まり返った。無理もない。主催者であるイグナツィ・モシチツキ大統領が、立ち上がったのだ。

グラスを高く掲げ、大統領は乾杯の辞を始める。いつものように長く、華麗で、脱線に満ちたスピーチだ。だが今回は例外的に、言いたいことが一目瞭然だった。「何世紀にもわたり、ポーランドはイスラム諸国と、誠実で心温まる友情と相互信頼によって結ばれてまいりました」。共和国の最高権力者はこう認めたうえで、こう続けた。「ポーランドにおいて、アフガン人の名前はすべての心を開くのです!」

イスラム世界の最良の友・ポーランド――なぜ曽祖父母の世代は預言者の宗教に夢中だったのか?

伝統的なアフガンの衣装をまとったアマヌラー・ハーン……

割れるような拍手が起こった。ワルシャワ駐在のローマ教皇庁大使までが手を叩く。オーケストラがアフガニスタンの国歌を奏でる。この豪華な晩餐の主賓こそ、同国の王アマヌラー・ハーンであった。王もまた、「アフガン人は、ポーランド人ほど強く心を寄せる国民を他に知らない」と、溢れるばかりの言葉で応えた。

宴のあとは祝賀会が開かれ、続いて首都の視察へ。こうした光景は、ポーランド外交当局による典型的なプロパガンダ・ショーと言えるかもしれない。しかし、アマヌラーの訪問は決して「典型」の枠にとどまるものではなかった。

この訪問は、誰も予想しなかった感情の噴出を露呈させたのだ。そして今日では、シリアからの移民、イラクのテロリスト、浅黒い肌のケバブ売りへの警戒が日々繰り返される現代社会への、痛烈な対比としても読み取れる。90年前のポーランド人は、イスラムを恐れるどころか……この宗教に関わるすべてに夢中になっていたのである。

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……そして軍服姿で、王妃とともに。『イルュストラシオン』誌(1928年)掲載の2枚の写真。

永遠の友情の絆

ヤギェウォ大学の東洋学者キングァ・パラスキェヴィチ博士は、1928年春の一連の出来事を、そのまま「アマヌラーヤーダ」と呼んだ。街路には群衆があふれ出し、何千人ものポーランド人が東方の君主とその妃に歓呼の声を送った。新聞の見出しはこう叫ぶ。「ポーランドとアフガニスタンの友情!」「ポーランドとムハンマドの民を結ぶ永遠の友情の絆」。長大な論説の中で、ポーランドはイスラムの最も近い同盟国であり、西洋世界に向けてムスリムの利益を代弁する用意のある国家として描かれた。そして誰ひとり、それを恐れて書いた者はいなかった。

それどころか、政治家もメディア関係者も、ポーランド共和国がイスラムにとってのヨーロッパへの玄関口となることを夢見ていた。一方でアフガニスタンは、いわば「東洋のポーランド」として受け止められ始めた。『クーリエル・ヴィレンスキ』紙の編集部(同紙だけではない)は、アマヌラー・ハーンが、1世紀以上にわたって抑圧され、ロシア帝国を含む大国のくびきからようやく逃れた騎士道の民を率いていると強調した。その類比は、誰の目にも明白だった。

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風刺誌『ワルシャワの理髪師』に描かれたアフガン人たち。

アッラーに愛された国

この熱狂に拍車をかけたのが、ポーランドのムスリムたちだった。王宮での昼食の翌日、ワルシャワ市庁舎で特別講演会が開催された。共和国の大ムフティー、ヤクブ・シンキェヴィチが、政府要人たち、そしてアフガニスタンの国王夫妻を前に演壇に立ったのである。彼はこう語った。ポーランドでは「当局側から」、イスラムは「いかなる弾圧も受けなかった」と。ヤギェウォ朝の時代から、ムスリムは「モスクを建て、ミザール(墓碑)を据え、子どもたちを先祖の信仰のもとで育てること」が許されてきた。さらに重要なのは、この伝統が途切れることなく現代まで続いているという点だった。

ムフティーは、自らのアイデンティティを守る闘いを強いられた悲劇的な分割の時代を経て、ムスリムたちが再び安堵の息をつけるようになったことを強調した。「ここに自由ポーランドが生まれるやいなや、イスラムは直ちにポーランド政府の好意を実感しました。世界大戦で破壊されたモスクの再建資金が集められ、聖職者への補助金も支給されました」とシンキェヴィチは力説した。

イスラム世界の最良の友・ポーランド――なぜ曽祖父母の世代は預言者の宗教に夢中だったのか?

彼には、言葉を裏づける確かな数字があった。活動中の教区は19、稼働するモスクは16。ヴィスワ川のほとりに暮らすムスリムたちが、紛れもなくポーランド人であることは自明だったというわけだ。出自がどこであろうと、信仰の掟はポーランド語で学び、「ポーランド共和国の繁栄のために」アッラーに祈るべきである。差異を尊重し偏見を抑え、困窮するムスリムを常に支援する用意のある国にこそ、唯一の神は加護を与えてくださるだろうから。

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本稿は、雑誌『フォーカス・ヒストリア(Focus Historia)』2016年第3号にも掲載されました。