歴史物語

ブルランの戦いでトーマス・J・ジャクソン将軍が英雄と讃えられ「ストーンウォール」の異名を得た理由

1861年7月21日に勃発した第一次ブルランの戦い(ファースト・マンアサスとも呼ばれます)は、南北戦争における最初の本格的な大規模会戦でした。この戦いの後、トーマス・J・ジャクソンは英雄として広く知られるようになりましたが、その名声は儀式的なものではなく、戦場での実力によって自然に勝ち取られたものでした。

崩れる南軍の中で立ちはだかる「石壁」

戦況が南軍にとって不利に傾く中、他の南軍部隊が次々と敗走していく一方で、ジャクソンの旅団だけはヘンリー・ハウス・ヒルの防衛線で微動だにすることなく、北軍の攻撃を食い止め続けました。この圧倒的な粘り強さこそが、彼を一躍有名にした要因です。

この毅然とした姿を目撃した南軍のバーナード・E・ビー准将は、自らの撤退しつつある部隊を鼓舞するため、こう叫んだと伝えられています。

「見よ、諸君、あそこに石の壁のように立つジャクソンがいる!(Look, men, there is Jackson standing like a stone wall!)」

「ストーンウォール」の異名の由来

ビー准将のこの言葉こそが、ジャクソンが「ストーンウォール・ジャクソン(Stonewall Jackson=石壁ジャクソン)」という有名な愛称を得た由来です。同時に、彼が指揮した部隊も「ストーンウォール旅団」と称されるようになりました。

興味深いことに、この歴史的な名言を放ったビー准将自身は、その直後に致命傷を負い、翌日この世を去っています。彼の言葉だけが、後世まで語り継がれることとなりました。

その後のジャクソンへの影響

ブルランの戦いでの活躍を足掛かりに、ジャクソンは南軍きっての名将として頭角を現し、シェナンドー渓谷方面作戦やアンチータムの戦い、フレデリックスバーグの戦いなどで数々の武勲を挙げていきました。1863年のチャンセラーズヴィルの戦いで受けた傷がもとで亡くなるまで、「ストーンウォール」の名は北軍に恐れられ、南軍の精神的支柱であり続けたのです。