記者たちが期待した「世紀の誘拐事件」
ジャーナリストたちは、この事件が10年に一度の大スクープになると確信していた。わずか数ヶ月前にアメリカを震撼させたリンバーグ家長男誘拐殺人事件のような、身代金目的の派手な誘拐劇がポーランドでも再現されたのだと思われたからだ。しかし、歴史の真実は全く異なっていた。ギャング団もなければ、法外な身代金要求もなかった。では、誰が、なぜ領事の幼い娘を誘拐したのか。
ウヤズドフスキ公園での失踪
1932年8月、ワルシャワのウヤズドフスキ公園。4歳のパッツィ・マクミリンは靴についた泥を落とそうとし、うまくいかずに乳母のマリア・スタニスワヴィアクに助けを求めた。しかしマリアは見知らぬ紳士との flirt(いちゃつき)に夢中で、少女の訴えを聞き流すばかり。業を煮やしたパッツィは「茂みで靴をきれいにしろ」という乳母の言葉に従い、ひとり茂みへと消えていった。
30分以上経っても戻らない娘。慌てたマリアが雇い主のアパートへ駆け込んだのは、すでに夕方6時を過ぎていた。パッツィの母グウェンドリーナは即座に夫を呼び、自らも公園へ駆けつけた。失踪から1時間以上が経過していたが、真夏の日が長く、気温も25度。日没までに見つければ命に別条はないはずだった。
未曾有の捜査体制と「第2のリンバーグ事件」への恐怖
警察は徒歩とオートバイのパトロール100隊を動員し、ワルシャワ市内の全警察署に警報を発令。郊外では車両検問が行われ、地方の警察にも連絡が行き渡った。ワルシャワ捜査局長アントニ・シトコフスキは、これが単なる迷子ではないと確信していた。誘拐されたのはアメリカ領事スチュアート・E・マクミリンの娘。国際スキャンダルになることは必至だった。
半年前、アメリカでは飛行士チャールズ・リンバーグの20か月の息子が身代金5万ドル(現在の価値で約100万ドル)を支払わされた挙句、遺体で発見されるという「世紀の犯罪」が発生していた。シトコフスキは、同じ手口の犯行がポーランドで繰り返されることを許さなかった。
容疑者たちとメディアの憶測
乳母マリアは「故意の犯行を隠すための flirt だったのでは」と逮捕され、料理人も「見知らぬ男を家に入れていた」過去から疑われた。そして最大の容疑者として浮上したのが、かつてパッツィの乳母を務め、解雇時に暴言を吐いて去ったヘレナ・シュクドラルスカだった。彼女は梅毒(または他の性病)を患っているとの噂があり、領事夫妻は「彼女こそが犯人だ」と確信したのだ。
しかし、真夜中に電話が鳴る。パッツィが見つかったのだ。泣きじゃくっていたが、無事だった。
新聞ごとに異なる「真実」
翌日の新聞報道は食い違っていた。『イラストロヴァナ・レプブリカ』は「少女が彷徨っているところを通りがかりの女性たちが警察へ連れて行った」とし、シュクドラルスカの共犯者が逮捕を恐れて放したと推測。『ドブリ・ヴィエチル』は「誘拐などなかった。子供が1キロ以上歩き、チェルニアコフスカ通りで泣いていたところを善意の市民が保護した」と報じた。被害者のプロフィールすら「英語しか話せない迷子の男の子」「ポーランド語とドイツ語も話せるしっかりした女の子」とバラバラだった。
酒場での数時間――犯人の素顔
翌日になってようやく共通の筋書きが浮かび上がる。パッツィは靴を拭いた後、公衆トイレを覗き、公園内を探検していた。そこへ見知らぬ男が近づき、「乳母のいるベンチへ案内する」と言ってチェルニアコフスカ通り193番地の粗末な酒場へ連れ込んだのだ。
男はウォッカを注文し、パッツィにはワッフルとソーダ水を買い与え、頭を撫で、抱き寄せ、何時間も店にいた。ボロボロの服装の男と、整った服の少女。店主カジミエラ・オパトコフスカは違和感を覚え、会計を迫った。男は「妻が財布を別の上着に入れた」と言い訳し、支払いを渋る。オパトコフスカが「子供を置いて金を取りに行け」と言うと、「置いていけば泣く。娘だからだ」と抵抗した。しかし店主は譲らず、男は渋々店を出た。
残されたパッツィは1時間ほど黙っていたが、やがて「知らない人。パパとママのところへ帰りたい」と名乗り出た。機転の利いた少女は自分の名前と住所を伝えたのだ。
身代金1万ドルの計画――しかし真実はもっと醜かった
犯人はブロニスワフ・ドレヴニアク。脅迫と詐欺で7回以上の前科を持つ常習犯で、警察の犯罪者アルバムにも顔写真が載っていた。刑事雑誌『秘密探偵』は「身代金1万ドルを狙った計画的誘拐。シュクドラルスカが午後8時に酒場へ迎えに来る約束だったが、彼女が早々に逮捕されたため計画が狂い、ドレヴニアクは会計すら払えなかった」と報じた。
メディアは沸いた。ワルシャワで身代金目的の子供誘拐は20年ぶり。外交官家族が標的になったのは初めて。元乳母の逆恨みという「スパイス」も加わり、センセーショナルな裁判が期待された。あの悪名高いリタ・ゴルゴノヴァ事件さえ凌ぐ大事件になるかと思われた。
マンハッタンではなく、チェルニアコフスカ通りで
しかし、起訴状が出された瞬間、記者たちは声を失った。想像していた「ニューヨークやロサンゼルスのような誘拐」ではなかったからだ。巨大な陰謀も、ドル詰めのスーツケースも、ギャングの脅迫もない。あるのは、安酒場と乞食とアル中が溢れる汚い通りでの、卑劣な性的犯罪だった。
シュクドラルスカは無関係とされ、身代金も共謀もなかった。ドレヴニアク――「眼鏡をかけた醜い猫背で、赤く腫れた顔の男」――は、単に歪んだ性的欲望のために少女を連れ去ったのだ。酒場のトイレで、4歳の子供が言葉さえ知らない「恐ろしい行為」を強いられ、その後、男が酒代を払うために少女を質に入れようとした。
医師の検査で「性的虐待の痕跡」が確認され、精神鑑定でも「周囲の状況を完全に理解しており、自分が被害に遭った経緯を正確に把握している」とされた。ドレヴニアクは「自分は梅毒だ。もし強姦すれば感染するはず」と無実を主張したが、パッツィから「新たに感染した梅毒」が検出された。
国ごと消えた事件――「ポーランドにそんな犯罪は存在しない」
マクミリン一家は捜査終了を待たずにポーランドを去った。裁判は非公開で行われ、判決は新聞の隅っこに小さく載ったのみ。ドレヴニアクは懲役1年6月。誰も判決の軽さに抗議しなかった。第二ポーランド共和国では「品行方正」が建前とされ、小児性愛や性的暴行といった「外国の堕落した犯罪」は存在しないとされたからだ。存在しないものについて、コメントする必要などない――そんな沈黙が、この事件を歴史の闇に葬り去ったのである。