現代は危険な時代だと思っていませんか?
車にひかれる、肺がんになる、電気配線の火災に巻き込まれる……。確かに現代の生活には危険がつきものですが、実は過去も決して安全ではありませんでした。それを雄弁に物語るのが、16世紀イングランドの検死官(コウナー)たちが残した報告書です。
もちろん、ここで話題にするのはヘンリー8世の妻たちのように首を刎ねられた悲劇のことではありません。アン・ブーリンやキャサリン・ハワードといった上流階級の女性たちは、貴族らしい華やかな生涯を送り、人々の想像力をかき立てるような最期を遂げました。しかし、単に不運だっただけの普通の人々は、どのような死を迎えていたのでしょうか?
オックスフォード大学の講師スティーヴン・ガン博士は、チューダー朝時代の検死官報告書を大量に調査しました。その中には、16世紀の出来事とは思えないほど「ダーウィン賞」ものの奇妙な死亡事故が、次々と記録されていたのです。
熊に殺される
手踊り熊(ダンシングベア)が、宮廷でも縁日でも人気の見世物だったことはご存じの通りです。ブリテン諸島でも事情は同じでした。踊ったり芸を披露したりする熊もいれば、死ぬまでの流血の闘いに駆り立てられる熊もいました。ヘンリー8世をはじめとする大貴族の中には、私設の闘技場や熊用の檻を持つ者さえいたのです。
案の定、時にトラブルが起こり、熊が逃げ出すこともありました。1563年、ケント州バーリングでは、アバガヴェニー卿のもとから脱走した熊が、未亡人のアグネス・ラプテを殺害しました。さらに1565年には、同じくアグネスという名の女性――アグネス・オーウェンが、夜中にヘレフォードシャーの自宅へ押し入ってきた熊に襲われ、自らのベッドで命を落としています。

熊を怒らせてはいけません。……さもないと、食べてられてしまいます!
射的場での事故
銃火器は危険な発明だから、良き昔の弓に戻したほうがいい――そう考えていませんか? 実は、それほど効果は期待できません。ガン博士は、検死官報告書の中から56件もの弓術による死亡事故を確認しました。観客が近づきすぎたり、射手が誤ったタイミングで矢を拾いに行ったりしたのです。
さらに、純粋な愚かさゆえのケースもありました。1556年6月、ビルデストンのトマス・カーティーズは帽子を頭から脱ぎ、別の射手に「その帽子を矢で射抜いてみろ」と挑戦したのです。もちろん、その後の顛末に対して、誰も賞を授かることはありませんでした……。
弓から……自分の頭へ
ええ、そんな事例も実際にあったのです。信じがたい話ですが。ウェルベックのヘンリー・パートという男は、空に向かって矢を放とうと、弓を限界まで引き絞りました。ところが矢が詰まってしまったため、男は弓を自分の方へ向けたのです。その数秒後に何が起こったか、想像してみてください。ヒントは、ヘンリーが翌日に息を引き取った、ということです。
殺人的な弾丸
弓と射手の場合、少なくとも誰もが「近づきすぎてはいけない」と心得ていました。一方、銃火器はまだ目新しさ全盛の時代でした。1519年、イギリスで初めて小火器による死亡事故が記録されています。ウェルトンのある女性は、ピストルが何なのか分からなかったのか、フランス人製本職人の見習いピーター・フレンチマンが放つ弾丸の真下を、まっすぐ歩いていったのです。あの銃声の轟音で気づかなかったのが、むしろ不思議なくらいです……。
パン焼き中の死
今日、何かを焼くのは本当にリスクのある作業です。ガスも電気も使いますから。しかし16世紀に、どうすれば致命的な結果になり得たのでしょう? 1558年1月29日、老婦人エリザベス・ベネスは友人であるバーツモートンの未亡人マティルダ・ナンファンの台所でパンを焼いていましたが、キャベツの葉(パンの下に敷くためのもの)が足りないことに気づきます。彼女は近くの濠へ葉を拾いに出かけました。そして現地で濠を囲む柵にもたれた瞬間、柵が崩れ落ち、女性は水たまりへ転落して溺死してしまったのです。
殺人的な牛
これまで、牛はおとなしくて重々しい動物だと思っていませんでしたか? ロバート・カルフは、その意見に同意できないでしょう。1557年3月のある日、畑を横切っていた彼は、ウィリアム・チールズの飼う牛に襲われたのです。端的に言えば、不運な男はイギリスの牛の角との遭遇を生き延びることができませんでした。
もう洗わないほうがいい?
見かけによらず、16世紀のイギリス人が不潔だったわけではありません。ただ、家庭用の浴室がまだ存在しなかったため、庶民は池や水場、川で体を洗っていました。人生とはそういうもので、時には誰かが足を滑らせ、時には深すぎる場所に足を踏み入れてしまうものです。1558年6月2日、ビッデンデンのトマス・ステープルは、メイン氏の池で体を洗っている最中に溺死しました。同じ夏には、ジョン・ジョプリンとジョージ・リーが、ケンブリッジとレスターを流れる川で身を洗っていて溺死しています。現代に浴槽やシャワーがあるのは、なんと幸運なことでしょう!
危険な城壁
もちろん、城壁の上や下で命を落とすのは、主に包囲戦の最中のことでした。しかし、日常においても城壁は大きな災いをもたらすことがあったのです。1558年4月26日、コヴェントリーのトマス・アルソップが市壁のそばに立っていたとき、壁の反対側で誰かが、踊りの輪の中心になっていた飾り柱をうっかり倒してしまいました。柱が壁に衝突し、壁からレンガが落下――トマスの脳の半分は泥状になってしまったのです。
最後は汚水溜めで
現代のトイレの特徴は、そこで溺れるのがほぼ不可能なことです(金魚でない限り)。しかし昔の公衆トイレは、深い汚水溜めの真上に設置されていました。1523年6月2日、酔っ払ったケンブリッジのパン職人が静かに用を足していたところ、ふらついて後ろ向きに倒れ込み――そのまま下水溝へ真っ逆さま。その結果は、文字通り「汚い」死でした。

こんな汚水溜めに落ちたくはないものです……しかも、満杯状態です(写真:Emillie、ライセンス CC ASA 3.0)。
出典:
Sean Coughlan、『10 strange ways Tudors died』、BBC、2011年6月14日。