歴史物語

イタリア・マフィアは何人を殺してきたのか?──「処刑」の論理と数万人に上る犠牲者の実態

彼らは軽々しく、「邪魔者」への死刑判決を下す。処刑とは、不服従、裏切り、不忠誠に対する罰である。ときには、会話の口調が気に入らないというだけで命を奪われることさえある。単独のボスだけでも、その手には数十人の犠牲者が刻まれている。本人たち自身が数を覚えていないのだから、我々がすべてを数えられるはずがない。

殺人は日常業務──マフィアにおける「死刑」の論理

殺人は、マフィアにとって日々の営みにすぎない。「判決」が下される理由はいくつもある。マフィオは、ある者を罰するために殺し、別の者を教訓づけるために殺す。処刑は、迷いを抱く者への警告でもある。「誰がこの世界の主であるか」を思い出させ、裏切り者に待ち受ける運命を突きつけるのだ。マフィアの掟の一節がそれを雄弁に物語る。「一人を殺せば、一万人が怯える」のである。

死刑判決が下されるのは、不正を行った取引相手、忠誠心を欠いた仲間、命令に従わない部下だ。さらに、賄賂に屈しない裁判官や、詮索好きすぎる警察官も「処刑」の対象となる。しかしそれは、長いリストのほんの序章にすぎない。ドイツ人ジャーナリスト、ペトラ・レスキの著書『マフィア』によれば、妻の愛人や近親者を殺めたケースもあれば、まったくの無関係の人間が犠牲になった例もある。マフィアのファミリーの長に十分な敬意を示さなかったホテルの経営者が殺されたことさえあるという。

兵士のごとく、国家のごとく

ここで「死刑」や「判決」という言葉を使うのは偶然ではない。殺人がマフィア構成員の生活に常態として組み込まれてきた以上、彼らはそれを一種の合理化によって正当化してきた。ペトラ・レスキは次のように記している。

マフィオにとって、殺人は難しい仕事ではない。少なくとも兵士と同じ程度の難易度だ。もしイタリアが他国と戦争になり、イタリア人兵士が五〇人や六〇人の敵を撃ち殺したなら、彼は犯罪者ではなく、戦争の英雄として讃えられるだろう。マフィオたちはそう語る。彼らは自分自身を、個人的な理由では決して殺さず、自国と国民のため、すなわちマフィアのためにのみ殺す兵士だと考えているからだ。
イタリア・マフィアは何人を殺してきたのか?──「処刑」の論理と数万人に上る犠牲者の実態

南イタリアにおいて、マフィアは他の地域における「国家」そのもののように扱われてきた。したがってマフィアは、警察官や裁判官であろうと、あらゆる敵に死刑を宣告できる。写真中央の人物こそ、汚職に屈しなかった裁判官ジョヴァンニ・ファルコーネである(photo:Albertocardillo, license CC BY-SA 4.0)。

犯罪組織が世界や社会に対して担う役割は、マフィオにとっての法の国家や国民そのものだ。だからこそ、マフィオは人を殺しても罪悪感を覚えない。関心があるのは身内からの評価だけであり、よそ者の目など眼中にない。戦争で戦う兵士が罪悪感を持たないのと同じことである。

針金の輪で絞めるか、酸に溶かすか

この「犯罪国家」の判決は、さまざまな方法で執行される。射殺、爆殺、絞殺。中でもイタリアのマフィオたちが好むのは最後の手段だ。音もなく、血も流れないからである。ペトラ・レスキの著書『マフィア』には、マルチェッロ・ファーヴァという男が語る絞殺の手順が描かれている。

通常、被害者は友人──できれば親友──に車で送ってもらい、安心させる。そこで誰かが被害者を取り押さえる。言い残したいことがあるなら、今こそがその瞬間だ。首に輪を掛けられて何も話さない人間がいるなら、ぜひ一度見てみたいものだ。だが、話そうが話すまいが、結局は死ぬことに変わりはない。
イタリア・マフィアは何人を殺してきたのか?──「処刑」の論理と数万人に上る犠牲者の実態

通常、こうした「作戦」には三人が関与する。二人が被害者を抑え、残りの一人が絞め殺す。その際に使われるのは、大半が針金の輪だ。素手での絞殺は面倒だとみなされている。小道具なしで一人で殺しを遂げる者は、仲間内で大きな名声を得る。その代表格が、サルヴァトーレ・“トット”・リイナだった。

「小柄なトット」と呼ばれたこのボスが裏社会で名を轟かせることになったのが、シチリア・マフィアの大物ロザリオ・リッコボーノ(通称サルッツォ)の殺害だった。ワインの進んだ夕食の席の終わり际、リイナは犠牲者にこう告げた。「サルッツォ、お前の物語はこれでおしまいだ」。そして二人のマフィオに身動きできないよう押さえ込まれた無防備な男の首を、自らの手で締め上げた。リイナは犠牲者を三分足らずで絞め殺したのである。

トットの残虐性は、マフィアの基準から見ても際立っていた。旧ボス、トンマーゾ・ブスケットの一族をほぼ皆殺しにしたのも彼である。弟、娘婿、義兄弟、甥や姪四人、そして実の息子二人まで、近親者のほぼ全員を殺害している。

イタリア・マフィアは何人を殺してきたのか?──「処刑」の論理と数万人に上る犠牲者の実態

サルヴァトーレ・“トット”・リイナ。マフィアの基準をも超越するほどの残虐な男だった(public domain)。

マフィアは自らの「判決」を正義の道具としてだけでなく、他者への警告としても用いる。だからこそ、遺体には「なぜ抹殺されたのか」を示す痕跡が残される。眼球を抉り取られていれば、見てはならないものを見すぎた証拠だ。耳を切り落とされていれば、聞きすぎたことを意味する。性器を切除されていれば、他人の妻や娘に言い寄った証拠であり、口の中に十字架が刻まれていれば、余計なことをしゃべりすぎたということである。

殺人者たちの敬虔さ

さらにグロテスクな犯罪の数々もある。ペトラ・レスキは、絞殺された後、頭を切断され、去勢され、切り取られた性器を口に詰め込まれた男の事例を挙げている。殺害される前に腕を切断された「受刑者」もいた。マフィアは女性(妊婦でさえ!)や子供の殺害も厭わない。恐るべき運命に見舞われたのが、司法に協力した元マフィオの息子、当時十三歳のジュゼッペ・ディ・マッテオ少年だ。少年は誘拐され、地下牢に二年間も監禁され、飢えと拷問に苦しめられた末、絞殺され、酸の中に溶かされたのである。

そんな非情な行為と、いかなる宗教心が両立しうるのか? マフィオたちは何の問題も感じていなかった。レスキの記述によれば、ある男は殺人の前に必ずイエス像の前でろうそくに火を灯し、こう祈ったという。「イエス・キリスト、お引き取りください! お手元にお迎えください!」。神が願いを聞き届けてくれないときに限って、男は自らの手で事を運び、殺人を実行した。そして祈りの場へ戻り、こう告げるのである。「親愛なる神よ、あなたが望まなかったなら、私があなたのもとへ送り届けました」と。

イタリア・マフィアは何人を殺してきたのか?──「処刑」の論理と数万人に上る犠牲者の実態

シチリア人たちの信仰心は、豪華な装飾を施した宗教行列への参加にも表れている。聖なる像を担ぐのがほぼ常にマフィアの構成員であり、祝祭の費用がマフィアの資金で賄われていることも、誰も気に留めない。写真はシチリア島ガラーティ・マメルティーノの行列(photo:Kyioko, license CC BY-SA 4.0)。

殺人犯レオルカ・バガレッラもまた、殺人の前には必ず教会へ足を運んだ。「神よ、奴ら自身が死にたいと思っていることは、あなただけがご存じだ。私に責任はない」──そう祈ったという。

犠牲者は何人だったのか?

果たして、イタリア・マフィアは何人の人間を殺害してきたのか? この問いに答えるのは容易ではない。マフィアは閉鎖的な組織であり、沈黙と慎重さが何よりも重んじられ、裏切り者には死が課される。情報が外部に漏れることはまれで、入手も極めて困難だ。我々がそもそも知り得なかった殺人事件もあれば、確認されていないものもある。犠牲者数を特定しようとする研究者たちは、報告された事例を積算し、可能性のある事例を推定することで、なんとか全体像に迫ろうとしている。

著書『1950年から今日までのマフィアの日常』の著者ファブリツィオ・カルヴィは、19世紀末以降、マフィアが殺害した人間は最大で三万人に上る可能性があると見積もっている。犠牲となったのは、ライバル・ファミリーの構成員、役人、裁判官、検察官、警察官、カラビニエリ(憲兵)……さらには司祭や、まったくの無関係な一般人まで多岐にわたった。

一方、フランスの歴史家マリー=アンヌ・マタール=ボヌッチ(著書『マフィアの歴史』)は、より慎重に、イタリア・マフィア(すべての派閥を含む)の犠牲者を一万五千〜二万人と推計している。さらに少ない数字を挙げているのが、イタリアの研究者ピエルルイージ・ブレードだ。彼は、一世紀あまりの間にマフィアのファミリーが殺害した人間は約一万二千人だと考えている。

比較的近年になると、警察統計があるため犠牲者の特定は幾分容易になる。たとえば1981年から1990年までの間に、イタリアでは12,116件の殺人が発生したことが分かっている。その四分の三は、マフィアが最も活発な南部諸州で起こった。最多はシチリア島の2,905件。カンパニア州では2,621人、カラブリア州では1,807人、プーリア州では757人が殺害されている。これらの殺人の七割超で、犯人は犯罪組織だった。

その後の十年間で、死亡者数は大幅に減少した。国連の世界的報告書によれば、1992年から2012年の間にイタリアで発生したマフィア関連の殺人は3,575件にとどまる。

イタリア・マフィアは何人を殺してきたのか?──「処刑」の論理と数万人に上る犠牲者の実態

マフィアを怒らせてしまったら? そうなれば、車の下に仕掛けられた爆弾が、あなたを待つ「ささやかな贈り物」の一つになる。おそらく人生で最後の贈り物だが……。写真は1982年、パレルモで発生したマフィアの爆破攻撃(public domain)。

「千件の殺人」で起訴された男たち

マフィアによる殺戮の規模は、想像を超える。1981年から1983年にかけてパレルモで繰り広げられたシチリア各ファミリー間の大戦争では、平均して一日に一人が殺害されていたのである。しかも犠牲者は、争うファミリーの構成員だけではない。裁判官、検察官、警察官までもが、この抗争の餌食となった。

個人としてのマフィア・ボスたちの「記録」もまた、驚異的だ。シチリアの最高位ボスの一人で「法王(il Papa)」の異名を持つミケーレ・グレーコは、数百件の死刑判決を下したとされる。前述のサルヴァトーレ・“トット”・リイナ──通称「野獣」──は、自身の手で約四十人を殺害したと伝えられ、警察からは合計一千件の殺人容疑で起訴された。反マフィアの裁判官ジョヴァンニ・ファルコーネとパオロ・ボルセリーノに「死刑判決」を下したのも、ほかならぬこの男だった。

マフィアが殺した犠牲者の数という問題について、痛烈な一言を残しているのが、カモッラのアントニオ・イオヴィーネだ。長年ボスを務めた後、司法側に転向した男である。政治家とマフィア界との癒着に関する彼の法廷での証言は、たびたびイタリア世論に衝撃を与えてきた。2014年にも、イオヴィーネは法廷でこう証言している。自分はあまりに多くの殺人を犯してきたため、そのすべてを覚えてはいない……と。