歴史物語

スターリンはポーランド人だったのか?――クレムリンで信じられた奇妙な噂の真相

スターリンはポーランド人だったのか?

ヨシフ・スターリンといえば、グルジア(現ジョージア)出身のソ連の独裁者として広く知られています。ところが、ソ連共産党第一書記を務めたニキータ・フルシチョフをはじめ、当時の政治局(ポリトビューロ)メンバーの半数ほどが、「スターリンは実はポーランド人ではないか」と信じていたというのです。いったいどこから、こんな噂が生まれたのでしょうか。

スターリンはポーランド人だったのか?――クレムリンで信じられた奇妙な噂の真相

本名は「ジュガシヴィリ」、グルジア生まれの革命家

スターリンの本名はヨシフ・ヴィッサリオノヴィチ・ジュガシヴィリ。1878年(公式には1879年)、グルジアのゴリ町に生まれました。「スターリン」とは「鋼鉄の人」を意味するペンネームです。母親ケケはグルジア人、父親ヴィッサリオンは靴職人でしたが、その出自にはオセット系ではないかとする説もあり、スターリンのルーツには古くから謎めいた部分がありました。

なぜ「ポーランド人説」が囁かれたのか

浅黒い肌、そばかす、そして特徴的な風貌。スターリンの外見には、典型的なグルジア人のイメージとは異なる部分がありました。こうした外見や、出自をめぐる不確かさが、クレムリン内部で「彼はポーランド人の血を引いているのではないか」「もしかするとポーランド人そのものかもしれない」という噂を生む土壌となったと考えられています。

権力の頂点に立つ男の素性が曖昧であることは、側近たちにとって好奇心と不安の種であり続けました。フルシチョフのようにこの説を真に受ける者が少なくなかったのは、スターリン自身が自分の出自についてほとんど語らず、周囲は推測するしかなかったためです。

歴史的事実はどうなっているのか

現在の歴史研究によれば、スターリンがグルジアのゴリに生まれ、グルジア正教会の神学校で教育を受けたことは確立された事実とされています。ポーランド人説を裏付ける確かな証拠は存在しません。ただし、1912年から13年にかけてスターリンがクラクフやウィーンでレーニンの指示のもと活動していた時期があったこと、民族問題に関する論文を執筆していたことなどが、噂に一層の尾ひれをつけた可能性もあります。

まとめ

「スターリンはポーランド人だったのか?」への答えは、歴史学的にはノーです。それでも、この噂がフルシチョフらソ連指導部の半数に信じられていたという事実は、絶対的な権力者の素性に対する周囲の無知と、閉ざされたクレムリンの空気を象徴する、興味深いエピソードだと言えるでしょう。