「ロージー・ザ・リベター(Rosie the Riveter)」。赤いポルカドット柄のバンダナを頭に巻き、拳を固く握りしめたアメリカ人女性工場労働者のアイコニックな姿を知らない人はいないだろう。しかし、美しいプロパガンダ画像で女性を戦争産業へと誘い込んだのは、実はナチスも同じだったのである。
ドイツは第二次世界大戦の女性をどう記憶しているのか
ベルリンのドイツ歴史博物館の常設展では、来館者をいくつもの象徴的なイメージが出迎える。ズデーテン地方から逃れてきた疲れ果てた難民、サディスティックな強制収容所の看守、終戦直後にレンガを一つひとつ積み上げてベルリンの復興を支えたボロ着の女性たち。そしてもちろん、「ライヒの未来」としての健康な金髪の子どもたちを抱く、型どおりの母親像である。
戦時中の女性のイメージについて調べていた筆者は、ある絵葉書に行き当たった。真っ赤な水玉模様のバンダナを巻いた金髪の若い女性が、航空機格納庫で働いている。この環境には場違いに見えたが、彼女はまるで「ロージー・ザ・リベター」そのものだった。つまり、オーバーオール姿で元気いっぱいに男性の仕事をこなす、魅力的でありながら頼もしいアメリカの工場労働者のように。
アメリカ生まれのアイコン
ロージーは、女性を工場へ送り出すために米国政府が生み出した存在だ。戦争はより多くの兵器を求め、アメリカの男性たちは軍隊へと駆り立てられた。ならば(既婚)女性が職場――航空機・武器産業をはじめ、稼働停止が許されないあらゆる現場――でその穴を埋めるのは理の当然だった。とはいえ、伝統的な家庭という領域の外へ踏み出すには、女性たちに後押しと正当性が必要だった。
そこで政府は、ポスター、雑誌の挿絵入りの戦争協力記事、広告、映画、そして『Rosie the Riveter』『Anna She Wears a Red Bandanna』『Mommy, Put Your Britches On』といった歌を駆使したメディアキャンペーンを展開した。「WOMEN – there's work to be done and a war to be won(女性よ、やるべき仕事があり、勝ち取るべき戦争がある)」「I'm proud – my husband wants me to do my part(私は誇らしい――夫が私に役割を果たしてほしいと望んでいる)」といったスローガンが並び、こうして魅力的でタフな新しい工場労働者は、ロージー・ザ・リベターという顔を持つことになった。
今日よく知られているのは、赤と白のバンダナを巻き、拳を突き上げて「We can do it!(私たちにはできる!)」と訴える女性の姿だ。当時有名だったのは、1943年5月29日付『Saturday Evening Post』誌の表紙を飾ったノーマン・ロックウェルによるロージーである。アメリカ国旗を背景に、サンドイッチとリベット打ち工具を手にした筋肉質の若い女性。そして彼女の足元には、踏みつけられた『我が闘争』が置かれていた。
より刺激的な人生へ
ベルリンの博物館の資料室にあったあの絵葉書は、家事に加えて勇気をもって(しかも魅力的な姿で)戦争勝利に貢献する女性たちを描いた、このアメリカの物語に違和感なく溶け込む。カードを裏返して初めて目に入るのが、「Frauen, greift zu! Für Euch: Im Flugzeugbau(女性たちよ、手を貸せ。あなた方のために――航空機製造)」という文言だ。これは1943年のプロパガンダ絵葉書シリーズの一つで、女性を産業界へ送り込もうとするドイツ側の政府の取り組みが、アメリカとまったく同じものであったことを示している。
ナチスのイデオローグたちにとって、妻として母としての役割を主張し続けながら、職場の良い面をアピールすることは苦渋の選択だった。ドイツでは男性が不足し、労働力への需要は深刻だった。だからこそ、女性には新たなロールモデルが必要だったのである。ドイツのポスターやカードには、研究室で、トラックのハンドルを握り、航空機産業で働く、セクシーでありながらプロフェッショナルな若い女性たちが描かれた。航空分野の女性たちはしばしば「ブリッツメードゥヘン(Blitzmädchen)」と呼ばれた。徽章に描かれた稲妻にちなんだ名前である。
新しい路線はナチス首脳部の男たちによって始められたが、女性雑誌はこぞってこの「より刺激的な人生」へのチャンスを利用した。国家社会主義(ナチス)の雑誌『フラウエン・ヴァルテ(Frauen-Warte)』を見てみよう。アメリカの女性誌と同じように、ファッション、教育、スポーツ、健康に関する記事を掲載し、次第に働く女性やその関心事についても扱うようになった。たとえば1944年12月の記事は、女性の技術的才能、集中力、繊細な手指の器用さを強調し、工場労働に対する見方の変化を伝えていた。
1930年代のステレオタイプや偏見をみんなで乗り越える時が来た、と書いたのはリディア・ライマー=バルネ(Lydia Reimer-Ballnet)である。賃金面ではまだ遅れがあること、男性が後継者について見下したような言い方をすることもあると認めつつも、大きな進歩があったと彼女は述べた。企業や工場は女性を訓練し、責任ある職位に就けている。戦争は女性に自らの才能を示す前例のない機会を与えた。そして平和が訪れた後も、女性がその指導的地位を維持できることを、著者は疑っていなかった。
お手本はロージー
『フラウエン・ヴァルテ』は従来の女性の義務観から脱し、それを写真で補強していった。そこに映るのは、つい最近まで男性だけのものとされてきた仕事に没頭する、自信に満ちた若い女性たちである。これらの写真は、そのままアメリカのロージーたちと言っても差し支えない。実際、先ほどの絵葉書のデザイナーは、明らかに『フラウエン・ヴァルテ』掲載の写真の一枚をもとに、カラーのプロパガンダ画像を作り上げたのだ。
とはいえ、戦時中の『フラウエン・ヴァルテ』が革新的な画像ばかりを掲載していたわけでも、ナチス指導部が男女関係に関する保守的な理想を完全に捨てたわけでもない。1944年のある号では、花畑で乳飲み子を抱く象徴的な金髪の母親が表紙を飾った。標語は「Mütter, Ihr tragt das Vaterland(母親たちよ、あなた方が祖国を担っている)」。
ところが翌号の表紙には、ぶかぶかの男性用軍服を着た四人の女性が堂々と登場する。サーチライトの前に立ち、一人が空を指差している。標語は、対空砲の製造者としてドイツ女性が「故郷(Heimat)」を守る、というものだった。空襲後の民間救援で勇気と献身によって際立った活躍をした女性や、女性科学者を紹介する記事には、個人を捉えた写真が添えられていた。すべてが同じメッセージを伝えていた。ドイツ女性は、ナチスの「ドイツ母親(Deutsche Mutter)」というステレオタイプが想定する以上のことができるし、したいのだ、と。
13万人のブリッツメードゥヘン
話は女性雑誌の論説やプロパガンダ画像にとどまらなかった。女性たちは実際に集まったのだ。もちろん、ドイツの戦争産業で働いていた女性全員が、自分の意志でそこにいたわけではない。300万人を超える女性――主にロシアとウクライナ出身者――は強制的に働かされた。自らの保身のために働いたドイツ人女性もいただろう。
その一方で、伝統的な性別役割や田舎の単調な暮らしから逃れるために、この機会を積極的に掴んだ無数の若い女性たちもいた。終戦までに、ドイツ空軍には約13万人のブリッツメードゥヘンがいた。その経験や動機を回想する人も少なくない。稲妻の徽章のついた制服や楽しげな略帽(ケピ)がいかに魅力的だったか。一人の元ブリッツメードゥヘンはこう語った。「戦争のためじゃなかったの。あれと一緒にやってくる冒険が欲しかったのよ」。
戦争中の(重い)男性の仕事を楽しんだ多くのアメリカ人女性にとっても、事情は同じだった。しかし、両者には大きな違いがある。アメリカのロージーは、ナチス・ドイツを打ち破るための飛行機、船、戦車、爆弾を作った。彼女の愛国心は集合的記憶の中で好意的に受け止められている。その想像上の肖像は、自らの権利のために立ち上がることの象徴となっているのだ。
恥……
オーバーオールや制服を身につけた、たくましい金髪のドイツ人女性たちの画像を、どれほどフェミニストであっても素直に見ることはできない。ナチスという負の意味合いがそれを妨げるのだ。これらの画像を見る者は、悪が一部これらの女性の名のもとに行われたことを知っている。彼女たちは自立を手にしたが、その愛国心は卑劣な政治体制に捧げられたものだった。
女性たち自身もまた、ナチスの戦争を助けたことを後にしばしば恥じ、沈黙を守った。だからこそ、私たちは彼女たちについてほとんど何も知らないのだろうか。プロとして働く女性たちの力強い画像が、望まぬまま「出産機械」とされたドイツ人女性、サディスティックな加害者、あるいは憐れむべき被害者としてのドイツ人女性の画像よりも、はるかに知られていないのは――。