宗教やその信者をネタにするのは、お笑い芸人の得意分野だ。しかし、それは決して新しい現象ではない。すでに2世紀のローマ帝国で、風刺作家ルキアノスはキリスト教徒、預言者、哲学者、文学者たちを容赦なく嘲笑していた。「宗教」をテーマとする古典週間にちなんで、この古代屈指の風刺家の世界を覗いてみよう。
繁栄する帝国と、ひとりの異才
2世紀のローマ帝国は絶頂期を迎えていた。養子縁組による歴代皇帝のもとで、パックス・ロマーナと呼ばれる長い平和が花開き、帝国は最も幸福な時代を謳歌していた。ところが文化的には、目立った成果に乏しかった。その大きな例外こそが、ルキアノス(120年頃〜185年頃)である。彼の痛烈な諷刺は、当時のうぬぼれた真面目ぶりに鋭い針を突き立てた。
天啓の夢
ルキアノスは、時代の精神そのものに茶々を入れることを恐れなかった。出身はシリアのサモサタ(現在のトルコ東部サムサト)。母語はアラム語で、東方の共通語として学んだのは、簡略化されたギリシア語であるコイネーだった。そこからさらに、紀元前4世紀の古典アッティカ方言――初期の哲学者たちが用いたギリシア語――を習得するまでに、何十年もの修業を要したという。
新参者らしく慎ましくあるべきところを、彼は苦労して手に入れた教養を、当時の流行への冷笑に使ってみせた。すべては文学者としての天職から始まった。眠りの中での神的啓示が固く信じられていた時代、ルキアノスは自分自身がそんな夢を見たと語る。父親が彼を、熟練した彫刻家である叔父に弟子入りさせた頃のことだ。初日にルキアノスは大理石の板を台無しにしてしまった。
その夜、二人の女性が夢に現れた。一人は髪を乱し、手はタコだらけで、衣をまくり上げ、石灰まみれ――まるで石を磨く叔父そっくりだと本人は言う。もう一人は顔立ちが美しく、優雅な身なりをしていた。二人はそれぞれ、彫刻と弁論術という自分の代表する職業へ彼を引き込もうと争い、後者が勝利を収めた。教育や道徳的資質、名声、公職、そして不死の栄光といった輝かしい見返りを約束したのだ。
ここでルキアノスの嘲笑は、幾重にも重なる仕掛けになっている。読者がそんな夢を本当にあったとは信じない? それなら古典を知らない証拠だとルキアノスは言う。クセノポンもまた、眠りの中でゼウスから、一万のギリシア人を窮地から救えと命じられたのだから(『アナバシス』3・1・11)。もちろん読者は、神話の中でヘラクレスが十字路に立ち、「徳」と「悪徳」の貴婦人のどちらを選ぶか迫られた故事との比較にも、思わず吹き出さねばならない。自己皮肉など、古代においては希少品なのである。
言葉の崇拝
ルキアノスはまた、あらゆる対象を褒めちぎる同僚たちの空虚な修辞にも反旗を翻した。この手の文章をパロディ化したのが『蝿の讃美』である。弁論家たちの訓練手段だった架空の弁論も、彼は茶番として扱った。『文字Τに対する文字Σの告発』なる戯作を書いたのである。後にエラスムスは、ルキアノスに倣って名高い『痴愚神礼讃』(1511年)を著した。
名声を競う弁論の題目は、2世紀にも定着していた。演説者は、でっち上げの事件について原告と被告双方の弁明を作り上げなければならない。たとえばこんな法律がある――「僭主殺しには体育館に像を建てる権利を与える」。ところが今回は僭主を殺したのが女であり、別の法律は体育館への女性の像の設置を禁じている、という設定だ。
ルキアノスの『僭主殺し』では、ある男が城塞に乗り込んで僭主を殺そうとするが、誤ってその息子を殺してしまう。剣は死体の中に残された。ほどなく帰宅した僭主は、その剣を掴むと自らの命を絶つ。すると男は法定の報酬を要求し始める。弁明の冒頭はこうだ。「陪審員の皆さん、私は一日にして二人の僭主を殺しました」。それでいて要求する報酬は一件分だけ、というのが笑いどころだ。
古き神々と新しき神々
この時代、オリュンポスの古い神々はほぼ死に絶え、その精神的空白をキリスト教が埋めた――これは根強い誤解である。ルキアノスの戯曲では、神々が実に人間臭く口喧嘩をしている。彼の時代に勢力を伸ばした新しい神々とて、嘲りの対象から逃れられない。神々の会議で、モモス神は神籍の大掃除を提案する。例えば、犬の頭をしたあのお方(アヌビス)はオリュンポスで一体何をしているのか? おまけに哲学的な空っぽ頭連中は、「徳」「自然」「運命」などといった抽象的な神々まで捏造していた。これでは神酒とアンブロシアが不足しかねない。
ゼウスは提案を採決にかけようとするが、思いとどまる。奇妙な連中がすでに多数派になってしまったからだ。そこでゼウスはヘルメスに、きわめて非民主的なやり方で法律を公布させる。内通者向けの冗談もある。ギリシア語で momos は「嘲笑」を意味する。モモスとは、言葉そのものが神になった存在なのだ。
暴かれたグル
ルキアノスの時代には、渡り歩くグル、奇跡師、預言者がはびこっていた。この現象を風刺したのが『アレクサンドロス、あるいは偽預言者』である。アレクサンドロスは、人間の仮面をつけた飼い慣らされた蛇を通じて神託を下す。馬の毛を使えば、仮面の舌を動かせる仕掛けだ。アレクサンドロスは当然有料で、封をした紙片に書かれた質問への答えを授ける。だが彼は封印を破るあらゆる手管を知っており、事前に外側へ答えを書き込んでおく。質問にぴたりと当てはまる答えに、神託を求める人々は驚嘆するわけだ。ルキアノスは、アレクサンドロスに手紙の秘密を犯させないようにしてやると、めちゃくちゃな答えが返ってくる様子を描いている。
裕福なエリート層さえ、この嘘つき預言者の餌食になった。アレクサンドロスの指示により、皇帝マルクス・アウレリウスは、来たるマルコマンニ戦役の成功を祈願して二頭のライオンをドナウ川に投げ込む。対岸にたどり着いた動物たちは、犬と思い込んだ現地民に棍棒で撲殺された。戦役は壊滅的な結果に終わる。
キリスト教徒のペテン師
『アレクサンドロス』ではすでにキリスト教徒に触れられていた。預言者によれば、彼らはエピクロス派(ギリシアの哲学者エピクロス(紀元前341〜270年)の追随者たち)と同じく不敬虔な輩だという。つまりルキアノスの読者は、あの宗派の存在を心得ていたはずだ。ペレグリヌスの場合もそうだった。父殺しの罪で逃亡中だったペレグリヌスはパレスチナに流れ着く。「そのとき彼は、キリスト教徒の奇妙な教えと出会った」。たちまち彼は突出した地位を得た。「彼らは彼を保護者に据えた。彼らが拝むあの方、パレスチナで磔にされた方のすぐ次の位である」。
あまりに目立つようになったため、ペレグリヌスはローマ当局に逮捕される。彼は殉教者になることを望んでいた。「邪悪な霊どもが彼らを完全に不死であり永遠に生きると確信させたため、彼らは死を軽蔑し、進んで自ら群れをなして差し出すのだ」。ところが寛容な総督はその望みを叶えず、ペレグリヌスを解放してしまう。予想外の釈放後、ペレグリヌスは各地を放浪する。アテナイ郊外の小屋でしばらく暮らしたが、その頃には食事の規律を破ったことで教会から破門されていた。最後に彼は、オリンピア祭で目覚ましい焼身自殺を遂げる。ルキアノスはそれを驚嘆しながら目撃した。
キリスト教徒たちによれば、ルキアノスはその嘲りの報いを受けたという。1000年頃に編纂されたビザンツ百科事典『スーダ辞典』によれば、ルキアノスは犬に引き裂かれた。「真理に逆らって狂奔したからである。『ペレグリヌス伝』で彼はキリスト教を攻撃し、この冒涜者はキリスト自身をも冒涜した。ゆえに今のところはその狂気への十分な報いを受けたが、将来はサタンとともに永遠の火を分かち合うことになるだろう」。しかし我々にとってルキアノスは、良きコメディアンのように、時代の滑稽さを逃さず指し示してくれる重要な証人なのである。