歴史物語

16世紀オランダに見る、成功した移民統合の歴史

今年の「歴史月間」のテーマは「Me & We(私と私たち)」。Kennislinkもこの月間に参加しており、「History」ページでは歴史写真コンテストやテーマ関連の記事を公開しています。企画の幕開けとなるのは、移民との長い付き合いを振り返る記事です。

1970〜80年代にオランダへ渡った経済移民は、当初は一時的な滞在を想定していました。ところが経済の悪化と失業率の上昇を受けて、移民規制は次第に厳しくなっていきます。

働き終えたら家族のもとへ帰るつもりだった「出稼ぎ労働者」たちは、一度帰国すれば再入国が認められなくなるため、そのままオランダに残ることを余儀なくされました。そして、家族や婚約者を次々と呼び寄せることになったのです。

それから長い歳月が経った現在、メディアや一部の政党はこうした移民労働者に対して否定的な論調を繰り返し展開しています。「社会保障を乱用する」「地域を貧しくする」「統合が進まない」――挙げればきりがありません。

しかし考えてみれば、オランダ人の約98%は移民の子孫だと言われています。

外国人をめぐる攻防

オランダが経済移民に対してはるかに友好的だった時代もあります。15世紀には、外国商人を都市に呼び込もうと熱心なロビー活動さえ行われていました。外国の商人は人脈と知識をもたらし、商品と経済成長はおのずとついてくる――そんな期待があったからです。都市評議会は有望な移民に贈り物や家賃の割引で応対しました。義務的な統合講座や国籍の放棄といった条件は一切ありません。それにもかかわらず、彼らの家族は見事に社会に溶け込み、市長職といった高い公職にまで就いていたのです。

15世紀の主要な交易都市――アントウェルペン、ブルージュ、そしてある程度はミデルブルフも――への定住を説得されたスペイン人商人たちは、新しい環境でもしばしばスペインの同胞と交流していました。ゼーラントの人々にはその違いは分かりませんでしたが、アントウェルペンにはアラゴン地方出身のスペイン人が、ミデルブルフにはカスティーリャ出身者が暮らしていたのです。

彼らにとって交易こそが存在意義でしたから、母国との絆が損なわれるのは誰にとっても不利益でした。親族の協力を得て商館を構えたスペイン本国やその他の国際都市とのネットワークは極めて重要だったのです。当局もそれを理解しており、一部の都市ではスペイン人に追加の特典を与えました。彼らは都市に居住しながら、スペイン王の臣下であり続けることができたのです。その結果、彼らは部分的にスペイン法の管轄下に置かれ、都市側の義務も軽減されました。

国王が移民に市政への扉を開く

1517年、ミデルブルフ市評議会の代表団は、スペインのカルロス5世(神聖ローマ皇帝カール5世)の宮廷を訪れます。彼らの要請により、カルロス5世はミデルブルフに、正式な市民権を持たない住民を市評議会に加えるという例外的な権利を認めました。以後、ゼーラント生まれであることが行政職の最低要件となったのです。

スペイン人二世にとって、これは市評議会の一員になれることを意味しました。この措置はまさに時宜を得ていました。同年、早くもスペイン人が市評議会に選出されたのです。外国勢力の影響は時に民衆の反発を招き、1523年には暴動が発生することもありました。とはいえ全体としては軋轢は小さく、市政にスペイン人が加わることは経済成長につながるとして、都市はそれを大いに歓迎したのです。

出自よりも社会的地位

二世以降の世代にとって大切だったのは、スペイン人としてのアイデンティティ、すなわち母国との経済的絆を保ちながら、同時に現地社会へ統合していくことでした。初代移民の息子たちは多くが父の職業を継ぎ、ヨーロッパ各地の親族ネットワークとの緊密な関係を維持しました。その一方で、オランダ人との結婚も盛んに行われます。花嫁候補の社会的地位は、概して出自よりも重視されました。代父母には家族の絆を強めるため、スペイン人の親族が選ばれることも少なくありませんでした。

こうしてスペイン人たちは順調に統合を果たし、オランダ人と結婚し、市長職といった高位の行政職にまで昇りつめました。その一方で、スペインとの取引を最適に続けるべく、独自のアイデンティティは守り抜きました。移民への追加特典は、まさにここで威力を発揮したのです。

オランダの銀行へのアクセスは、スペイン産交易品の第三国への流通を円滑にしました。そしてオランダ社会に根を下ろした彼らは、恒久的な定住を望む者や、商用の滞在中に拠点を求める後発のスペイン人たちにとって、絶好の足掛かりとなりました。

異なる宗教も歓迎された

プロテスタントの台頭に伴い、カトリック中心だったスペイン人たちは、しばしばユトレヒトのようなカトリック色の強い都市へ移住しました。しかし、その多くは新しい信仰へ改宗しています。また、スペイン異端審問の恐怖から逃れたセファルディム系ユダヤ人たちも、オランダへの定住を好みました。交易環境が良好だったことに加え、何より自分たちの信仰を平穏に実践できたことが大きな理由でした。

さらに読む

オランダの移民史について詳しく知りたい方は、「Migration in the Netherlands」のページや、書籍『New Dutchmen ― Settlement of migrants through the ages(新オランダ人――時代を超えた移民の定住)』をご参照ください。