歴史物語

マリリン・モンローを死へ追いやった薬物と数々の陰謀論

1962年8月5日、当時のみならず後世にまで名を刻む絶対的スーパースター、マリリン・モンローが36歳の若さでこの世を去っているのが発見されました。あの日から60年以上が経った今も、彼女の死には厚い謎のベールがかけられたままです。

謎に包まれた死

モンローは全裸でうつ伏せになり、ベッドに横たわっているところを発見されました。枕元には電話の受話器が置かれ、ナイトテーブルの上には睡眠薬の瓶がありました。しかし、水の入ったコップだけは部屋のどこにも見つからなかったのです。

公式な見解は「自殺」。しかし、この結論には疑問を抱く声が後を絶ちません。

ボビー・ケネディとマフィアによる「殺害」説

2022年3月、ジャンニ・ルッソ氏は、ブロンドの女神が亡くなってから57年を経て、独自の見解を語りました。彼によれば、モンローはロバート(ボビー)・ケネディによって「殺された」のだといいます。

ニューヨーク・ポスト紙が伝えたルッソの証言によれば、ボビー・ケネディはマフィアの協力を得て彼女の殺害を企てました。自分自身との関係だけでなく、当時のアメリカ大統領ジョン・F・ケネディとの関係まで暴露されることを恐れたためです。

「やったのはボビーだ。彼女を殺すのは他にいない。彼女は遊ぶのが大好きな女だった。2、3錠のピルと酒を少し口にすれば、誰とでも関係を持てるような女だったんだ」

ルッソ自身もモンローと気軽な付き合いがあったと主張しており、彼にとって彼女の死はバルビツール酸系薬物の過剰摂取などによるものではなかったといいます。

さらに彼はこう続けます。「マフィアはジョン・F・ケネディを手中に収めたかった。特にシカゴ・マフィアの首領サム・ジャンカーナは、ハリウッドで最も有名で永遠のスターであるモンローから目を離さなかった。彼女を通じてアメリカ大統領をおびき寄せられるからだ。ギャングたちは、モンロー、ロバート・ケネディ、ジョン・F・ケネディが宿泊するホテルの一室での『スリーサム』を隠しカメラで撮影する壮大な計画を立てていた。その映像を使って大統領にキューバ侵攻を迫り、マフィアがカジノを取り戻す狙いだった。しかし、大統領本人が現れず、計画は頓挫した」というのです。そして、モンローはこの企みを知り、メディアに告発すると脅したのだと俳優は語っています。

もちろん、ルッソの証言が確かな情報として評価されることはありませんでしたが、彼が女優と親しかったこと自体は事実です。

また、作家ダーウィン・ポーターも女優の伝記の中で、イタリア系マフィアによるモンロー殺害について言及しています。ポーターによれば、ケネディとモンローは激しく口論になり、離婚を望むケネディに対し、彼女は「それなら二人の関係を暴露する」と脅したといいます。

不自然すぎる死亡現場

検死医は、モンローの死因は遺体の傍らにあった睡眠薬だと確認しました。しかし謎なのは、死亡推定時刻が午後9時30分から11時30分の間であるのに対し、家政婦が助けを呼んだのは午前4時だったという点です。

家政婦の証言によれば、寝室の明かりが点いていることに気づき、ドアをノックしたものの返事がなかったため、これ以上邪魔してはいけないと思い引き下がったといいます。その後、不安になった家政婦は女優の主治医である精神科医に連絡。駆けつけた医師が窓ガラスを割って室内に入ると、モンローはすでに事切れていました。

遺体を最初に発見した警察官はこう証言しています。「両腕は体の脇に沿って伸ばされ、脚も完全に真っ直ぐだった。あれほど明白な死亡現場は見たことがない。寝台の上の薬瓶は整然と並べられ、遺体も意図的に配置されたように見えた。すべてがあまりにも綺麗に整いすぎていた」

こうした証言は数々の疑問を残し、さまざまなシナリオを生み出すことになりました。

「共産主義者」説と極右工作員説

1964年の著書『マリリン・モンローの奇妙な死』で、フランク・キャペルはモンローが「共産主義者」に殺されたと主張しました。キャペルによれば、ケネディもモンローも共産主義者であり、アメリカ合衆国の破壊を目論んでいたといいます。しかし同時に、内部の対立が原因で、モンローは共産主義者たち自身の手によって殺害されたと書いています。

1973年には、ノーベル賞作家ノーマン・メイラーが著書『マリリン』の中で、ケネディとモンローはいずれも極右のFBIおよびCIAの工作員によって暗殺されたと述べました。その理由についてメイラーは、共産圏キューバへの米軍介入の失敗に終わった「ピッグス湾侵攻」が、ケネディ自身による内部からの妨害によって台無しになったからだと説明しています。しかし数年後、メイラー自身が、これらの主張は商業的な理由からでっち上げたものだったことを認めています。

薬物依存をめぐる「神話」

薬物との関係については、ある種の「神話」が流布しています。実際のところ、モンローは催眠鎮静剤に依存していたものの、その他の物質への依存はありませんでした。不安障害と不眠症に悩まされていたと語っており、服用していたのは医師から処方された薬だけだったといいます。

死因はバルビツール酸系薬物とされましたが、当時の他のスターたちがそうしていたように、アンフェタミンなどの強力な薬物には手を出していませんでした。ただ、彼女が全面的に信頼していた主治医たちの処方態度に問題があったことは否めません。

法中毒学者による現代的な「検証」

法医学・毒物学教授のフランチェスコ・マリ氏は、妻エリザベッタ・ベルトール氏とともに独自の「検死」を試みました。

「マリリンのケースでは、遺体を直接調べることはできませんでした」とマリ教授は語ります。「しかし、彼女の死に関する資料や文献、そして何より当時の毒物学報告書を精査し、現代の法中毒学の知見をもって、まるで50年前の専門家のように分析を行いました」

毒物検査の報告書を研究し、多数の類似事例のデータと比較した結果、あのスターは少なくとも45~47錠のネンブタール(ペントバルビタール)を摂取していなければならないことが判明したと、フランチェスコ・マリ氏は述べます。

さらに同氏は、ハリウッド一のセクシーアイコンが薬を口から服用することはあり得なかった理由を説明します。

「第一に、当日彼女の手元にあったのは25錠だけだからです。第二に、口から服用していれば胃液中に薬物の残渣が検出されているはずなのに、それが一切見つからなかったからです」

注射による投与の可能性についてはどうでしょうか。イタリア人教授によれば、徹底的な検視を行ったにもかかわらず、副検死官トーマス・ノグチは遺体に注射針の痕跡を発見できませんでした。その代わり、腸内に大きな炎症を確認したといいます。つまり、マリ教授らが導き出した結論は、「薬物は浣腸によって投与されていた」というものだったのです。