カンダノス村壊滅事件とは
1941年6月3日、ドイツ占領軍はギリシャ・クレタ島ハニア県のカンダノス村を完全に破壊し、住民約180人を処刑しました。これはクレタ島の戦い(1941年5月20日〜31日)における住民の抵抗に対する報復として行われたもので、ドイツ軍がギリシャ国内で犯した最も重大な戦争犯罪の一つに数えられています。
戦略的要衝として狙われたカンダノス
カンダノスはハニア県のほぼ中央に位置し、北のハニアと南のパレオホラを結ぶ街道沿いにある村です。ドイツ軍がクレタ島へ侵攻すると、この地域は作戦上の重要拠点とみなされ、侵攻初日から空爆の標的となりました。
5月23日には自動車化部隊が村の制圧を試みましたが、地元民は手製の武器で応戦し、これを撃退します。ところが翌24日、ドイツ軍は圧倒的な兵力で再攻撃を仕掛け、25日に村を占領しました。クレタの戦闘員たちは周囲の山々へと散開していきました。
報復として行われた虐殺
6月3日、ホルスト・トレーベス中尉率いる第3降下大隊の部隊が村に到着しました。彼らの目的は、カンダノス攻略戦(5月23日〜25日)でドイツ兵25人が死亡したことへの報復でした。降下猟兵たちは指揮官であるクルト・シュトゥデント上将軍の命令に従って行動しており、その前日にはすでにハニア県のコンドマリ村で民間人の集団処刑を実行していました。
ドイツ軍は到着後ただちに村への放火を開始し、数日のうちにカンダノスを文字どおり灰燼に帰させました。残っていた住民約180人はすべて殺害され、さらに現場への立ち入りと村の再建は、死刑をもって固く禁じられました。
破壊を誇示する立て札
ドイツ軍は自らの蛮行を正当化するため、廃墟となった村にギリシャ語とドイツ語で書かれた立て札を掲げました。
「ここにカンダノスありき。ドイツ兵25名の殺害を償うべく破壊された」
「武装した男女の市民が、殺害されたドイツ兵の背後から攻撃したため、カンダノスは報復として破壊された」
「男・女・子供そして司祭らの手により、降下猟兵・山岳兵・工兵が残忍にも殺され、大帝国に敢えて抗ったがゆえに、1941年6月3日、カンダノスは二度と再建されぬよう根底から破壊された」
軽い刑で終わった責任者・シュトゥデント将軍
ドイツの敗戦後、作戦の責任者であったクルト・シュトゥデント将軍はイギリス軍に逮捕され、1947年5月、クレタ島における国防軍の戦争犯罪について軍事法廷にかけられ、懲役5年の判決を受けました。
しかしながら、ギリシャ当局が求めたギリシャへの引き渡しは連合国側に拒否されました。シュトゥデントは長く獄中に留まることもなく、1948年には健康上の理由で釈放されます。その後、彼は1978年に88歳でこの世を去り、クレタ島で犯された罪の責任を全面的に問われることはありませんでした。
記憶されるべき歴史
戦後、カンダノス村は住民の手で再建され、現在では虐殺の犠牲者を悼む記念碑が建立されています。「殉難村」としての記憶は今日も受け継がれており、この悲劇は戦時下における報復措置の非人道性を今に伝える歴史的教訓となっています。