1963年11月22日、ジョン・F・ケネディ大統領は、テキサス州ダラスの街をパレード中に暗殺されました。20世紀で最も有名な未解決の暗殺事件となり、数々の陰謀論が生まれ、今日まで議論が絶えることはありません。
しかし、ケネディ大統領が最期を迎えたその車は、その後どうなったのでしょうか?当然ながら、事件の後すぐに廃車になったと考えるのが自然です。ところが、実際にはまったく違う結末を迎えていたのです。
大統領専用リムジンの歴史
ケネディ大統領が暗殺された濃紺のリンカーン・コンチネンタルは、1961年にフォード・モーター社によって製造されました。大統領の使用に適した仕様への改装を担当したのは、装甲車の製造を専門とするコーチビルダーのヘス&アイゼンハート社です。ヘンリー・フォード博物館によると、両社は協力して車両をカスタマイズしており、このプロジェクトはシークレットサービスによって「X-100」というコードネームで呼ばれていました。
元となるリンカーン・コンチネンタルは真っ二つに切断され、約3.5フィート(約107cm)延長されました。その他の装備としては、取り外し可能なルーフパネル、暖房およびエアコンシステム、赤色の点滅ライト、無線電話2台、そして大統領を持ち上げて観衆に見せることのできる油圧式シートなどが備わっていました。車体本体の価格は約7,300ドルでしたが、追加装備には約20万ドル(現在の価値に換算すると約180万ドル)がかかったといいます。
なお、この大統領専用リムジンの所有権はフォード・モーター社が保持しており、シークレットサービスが年間500ドルでリースする形で大統領に提供されていました。

暗殺後、車はどこへ?
ケネディ大統領が撃たれた車なら、事件後に回収され、二度と使われることはないだろうと考える人がほとんどでしょう。しかし、実際にはそうではありませんでした。
暗殺事件の後、大統領専用リムジンは貨物機でホワイトハウスへと空輸されました。ニューヨーク・デイリーニューズ紙によると、証拠品として一時保管され、「ウォーレン委員会」やFBI、シークレットサービスによる綿密な調査が行われたといいます。ただし、銃弾を受けたフロントガラスは取り外されたとされています。
ホワイトハウスは1963年12月、リンカーン・コンチネンタルの修理と改造を発注しました。ヘンリー・フォード博物館によると、車はオハイオ州シンシナティにあるヘス&アイゼンハート社へ送られて再構築され、その後ミシガン州ディアボーンにあるフォード・モーター社のガレージに移動され、さらなる機能追加が施されました。
この大規模な改修には、新たな黒色の塗装、構造部材の強化、通信技術の追加、着脱不可のルーフ、乗客区画の装甲化などが含まれていました。再建にかかった総費用は50万ドル、現在の価値にして約460万ドルに上ると報じられています。

暗殺後、誰がこの車を使ったのか?
リンカーン・コンチネンタルが廃車ではなく修復を選んだのは、新しい大統領専用車が完成するまでに何年もかかるためです。修理こそが最も現実的な解決策だったのです。すべての改造を終えた高級車は、再びホワイトハウスへと戻りました。
驚くべきことに、ケネディ大統領が暗殺されたこの車は、その後も歴代のアメリカ大統領に使い続けられました。リアシートに座ったのは、リンドン・ジョンソン、リチャード・ニクソン、ジェラルド・フォード、ジミー・カーターの4人です。また、1967年には追加の装甲と塗装が施され、凹みの修理や保護バンパーの取り付けといった細かな修正も行われました。
Motor Biscuitによると、ジョンソン大統領は在任中、このリンカーン・コンチネンタルを使用したのはわずか数回だけだったといいます。ケネディ大統領が暗殺された車を使うことに抵抗があったためで、彼は主にホワイトハウスがすでに保有していた他の車両を選んで使用していたそうです。

1977年についに「引退」
1968年や1972年にも他の大統領専用車が製造されましたが、ケネディ大統領が撃たれたこの車は、引き続きホワイトハウスの車列の一員であり続けました。10年以上にわたる任務を終え、大統領専用リムジンはついに1977年に引退します。その後、ミシガン州ディアボーンにある「ヘンリー・フォード・アメリカン・イノベーション博物館」へ送られ、フォード・モーター社が製造した他の車両とともに展示されています。
今日でも、この車は同館で最も人気のある展示品のひとつであり、多くの来館者がアメリカ史の一部となったこの車を見つめながら長い時間を過ごしています。光沢のある外観と良好な状態を保っているため、この車の歴史を知らない人は、悲劇的な事件と関わりがあるとは信じられないでしょう。ましてや、20世紀で最も有名な未解決の殺人事件の舞台となった車だとは。ダラス・モーニングニューズ紙によると、特にケネディ大統領の命日である11月22日には、リンカーンのそばに花を手向ける来館者もいるといいます。

ケネディが使ったもう一台の車
暗殺された大統領専用リムジンのほかに、ケネディ大統領は当日の朝、もう一台の車を使用していました。この車(1963年式の白いリンカーン・コンチネンタルで「リモ・ワン」と呼ばれる)は、暗殺当日、大統領夫妻がホテルからカーズウェル空軍基地へ移動する際に使用されました。リモ・ワンは自動車ディーラーのビル・ゴライトリー氏から貸し出されたもので、使用後に返却されました。
その後、この車は何度も所有者が変わりましたが、最終的にL.H.ハウ氏に売却され、「アメリカン・トラジェディ博物館」で展示されることになりました。1998年には再び所有者が変わり、2013年のオークションではコレクターのジム・ウォーリック氏の手に渡りました。さらに2020年には再びオークションに出品され、37万5,075ドルで新しい所有者のもとへと旅立っていきました。