1994年4月5日、カート・コバーンは自らの命を絶った。ニルヴァーナのフロントマンとして世界的な成功を収めながら、27歳という若さでこの世を去った彼の死から28年。この記事では、『ローリング・ストーン』誌に掲載された最後のインタビューの中から、特に重要な箇所を振り返る。
シカゴでのライブ後に語られた貴重な対話
インタビューは1994年1月27日付で掲載された。アルバム『イン・ユーテロ』(1993年9月21日発売)のリリースから数ヶ月後のことだ。ジャーナリストのデヴィッド・フリッキーが、1993年10月25日にシカゴのアラゴン・ボールルームで行われたコンサートの後にコバーンと対話した。このライブでは、「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」をアンコールで演奏しなかったことをバンドがむしろ歓迎していたことでも知られている。
なぜ「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」を演奏しなかったのか
冒頭の質問は、シカゴのライブで同曲を演奏しなかった理由についてだった。
「あの曲をやれば、氷山の一角に触れるようなものだ。事態はさらに悪くなる。ソロなんて覚えてもいないし、バックステージで思い出すのに少なくとも5分はかかるだろう。でも、どうでもいいんだ。『スメルズ・ライク・ティーン・スピリット』を演奏するのは好きだよ。でも一方で、正直ちょっと恥ずかしい。みんなその曲ばかりに注目して、MTVで何百万回も見て、頭にこびりついている。でも僕たちはもっといい曲を書いていると思う。例えば『ドレイン・ユー』とかね。もちろん大ヒットしたことは認めるけど、僕自身はあそこまで好きになれなかったかもしれない。もう楽しくて演奏しているふりをするつもりはない。ギターを投げ捨てたほうがましだ」
「ティーン・スピリット」誕生秘話――ピクシーズへのオマージュ
伝説的な楽曲がどのように書かれたのかを記者が掘り下げると、コバーンは意外な事実を明かした。
「3ヶ月間リハーサルを続けたんだ。メンバーはそれぞれ別の場所に住んでいて、毎晩タコマに集まって練習し、新しい曲を書いていた。僕は究極のポップソングを書こうとしていた。正直に言うと、ピクシーズのリフを参考にしようとしていたんだ。あのバンドには本当に影響を受けたから、ピクシーズに入るか、彼らのコピーバンドをやるべきだと思っていたくらいだよ。『ティーン・スピリット』のリフはとても陳腐だった。『ルイ・ルイ』にすごく似ていると言われていた。初めて弾いたとき、クリスト(ノヴォセリック)は僕を見て『まったく馬鹿げている』と言ったよ。それでも1時間半も演奏させ続けた」
「Here we are now, entertain us」の歌詞の由来
「『さあ、ここにいるぜ、俺たちを楽しませろ』というフレーズはどうやって生まれたのか」という問いに、コバーンはこう答えた。
「パーティーに行くたびに、場を和ませるために使っていた決まり文句なんだ。人の群れの真ん中に立っていると、何もかも退屈で居心地が悪いことがよくある。だから『さあ来たぞ、今すぐ俺たちを楽しませろ』って言ってたんだ」
そして彼はこう続けた。「最初は観客が僕を持ち上げてくれて、みんなその曲に夢中になってくれた。それがメインストリームに行き着いたとき、僕にとっては終わりだった。恥ずかしさにうんざりして、もう乗り越えたんだ」
胃の痛みとの闘い――ツアーを拒んだ理由
インタビューの別の場面で、コバーンはすでに十分な金銭を得ており、バンドの最後のツアーに出たくないと考えていたことを認めた。
「ツアーに行きたくなかった一番の理由は、胃の不調だ。この痛みとは5年間戦ってきた。頭がおかしくなりそうで、何にも対応できなかった。殴られた統合失調症の濡れた猫みたいだったよ」
それでも、その苦しみが自分の書く音楽に貢献していたことも認めている。
「でも、健康と引き換えなら何でも差し出す。このツアー(当時まだ続いていた)は今までで最高のものになった。ただ胃が痛くなかったからだ。ちゃんと食べられるようになった。昨日は巨大なピザを完食したよ。完璧だった。ただ、痛みが戻ってくるのが怖い。誰にもわからない。今のところ新しい曲は1つも用意できていない。次のレコードにどんな曲を入れるのか見当もつかない。ゼロからのスタートだ」
「I Hate Myself and I Want to Die」――アルバムから外された理由
特に注目を集めたのは、『イン・ユーテロ』からカットされた「アイ・ヘイト・マイセルフ・アンド・アイ・ウォント・トゥ・ダイ」についての質問だ。「これはどういう意味ですか」という『ローリング・ストーン』の問いに、コバーンはこう答えた。
「ジョークだよ、それだけ。だからレコードから外されたんだ。人々がそういうふうには受け取らないとわかっていたからね。みんな何でも深刻に受け取りすぎる。あれは風刺で、自分たち自身をからかっていたんだ。何にも満足できない男を描いていた。アルバムのタイトルにもしたかったよ。でも、ほとんどの人には理解されないとわかっていた」
自殺について考えた日々
自殺について考えたことがあるかという問いに、この最後のインタビューでコバーンは率直に答えている。
「胃の問題を抱えていた5年間、毎日のように自殺のことを考えたよ。かなり危ないところまで行った。認めるのは辛いけどね。ツアー中は床にうずくまるほど体調を崩して、水に触れることさえできなかった。それなのに20分後にはステージに立たなければならなかった。血を吐きながら歌っていた。音楽が好きだ、演奏するのも好きだ。でも、こんな生き方はできない。だから治療に集中することにしたんだ」
パール・ジャムへの複雑な思い
パール・ジャムとの有名な確執については、彼らを「安全なロックバンド」と評した。
「みんなに好かれるいいバンドだよ。僕たちは露出しすぎた。特に最後のレコードでね。キャッチーな曲が1つか2つあって、あとはゴミやコピーみたいなもので済ませるのは簡単だ。そんなのは気にしない。もしそうなら、『ネヴァーマインド』の大部分のトラック以外はやめてしまえばいい。でも僕にはできない。本当に好きなアルバムは、どの曲も完璧に輝いているものばかりだ。エアロスミスの『Rocks』、セックス・ピストルズの『勝手にしやがれ!!』、レッド・ツェッペリンの『II』、AC/DCの『バック・イン・ブラック』みたいにね」
ジョン・レノンへの敬愛
また、コバーンはジョン・レノンの大ファンであることを公言した。
「ジョン・レノンは僕のお気に入りのビートルだ。誰が何を書いたかなんてどうでもいい。ポール・マッカートニーは恥知らずだと思う。レノンはヨーコと子供と一緒に、部屋に閉じ込められた牢獄のような生活を送っていた。それはセレブたち全員が直面することだ。人々の扱い方。それは変わる必要がある。他人に執着する人々の気持ちがわかる。人々に自制を求め、敬意を持って接してもらうのは本当に難しい。結局のところ、誰もがクズなんだ、僕らは」
ニルヴァーナの未来について
バンドの将来については、こう語った。
「10年後もニルヴァーナの曲を演奏しているなんて想像できない。まったくもって。エリック・クラプトンみたいになりたくないんだ。彼は尊敬しているけど、年齢に合わせて曲を変えてしまった。そういうふうにはなりたくない」
また、声を守るためにはボブ・ディランのように歌うのが理想だと述べた。
銃についての発言
最後に、銃についてはこう語っている。
「そうだね、銃は好きだよ。撃つのも好きだしね。防衛用に銃を持っている。僕やコートニーより有名じゃない人たちでさえ、ストーカーに殺されているんだ。家にはセキュリティシステムがあるけど、いつでもフランシス(娘)が触れない安全な場所に装填した銃を置いている。M16もあるよ、狙いをつけるのが楽しいんだ。射撃は僕が好きな唯一のスポーツで、夢中になっている」
「銃を買ったとき、コートニーには前もって話していた。僕は攻撃的な人間じゃない。銃を持った犯人を止められるわけじゃない。でも、家族が襲われて殺されるのを黙って見ているつもりはない。空に向けて撃つことなら二の足を踏まない。武器は防衛のため、そして射撃のために持っているんだ」
コバーンの最後のインタビュー全文は、『ローリング・ストーン』誌のサイトで読むことができる。ニルヴァーナの最後のコンサートは1994年3月1日、ミュンヘンで行われた。コバーンが命を絶ったのは、そのわずか1ヶ月余り後のことだった。