
馬上のエカチェリーナ2世
「大帝」と称えられた女帝の突然の死
ロシア帝国のエカチェリーナ2世は、類まれな政治的手腕によって「大帝」と記憶されるに至った、ロシア史を代表する女君主である。1762年に夫ピョートル3世を退位させて即位して以来、約34年間にわたり帝国を統治した彼女だったが、1796年11月、67歳の時に自室で着替えている最中に突如倒れ、ほぼ間違いなく脳卒中が原因でこの世を去った。
宮廷を駆け巡った悪質なゴシップ
女帝の訃報は瞬く間にヨーロッパ各国の宮廷へと伝わり、信憑性すら疑わしいほど下品なゴシップを巻き起こすこととなった。
なかでも最も悪意に満ちていたのは、女帝が飽くなき欲望を抱える「ニンフォマニア」であり、馬との性行為を試みた末に馬に押しつぶされて死亡したという噂である。あり得そうもない上に、到底品のある話とは言えない仮説だ。
なぜあんな噂が生まれたのか?
これほど高い地位にある人物に対して、なぜこれほどまでに無礼な噂が流れたのだろうか?
まず決定的な要因となったのは、女帝自身の奔放な私生活である。彼女は生前、数え切れないほどの愛人たちと関係を結び、それをほとんど隠そうとしなかった。ポチョムキンやポニャトフスキーなど、寵臣たちは政治にも深く関与していたことで知られている。
しかしそれだけでは説明がつかない。当時のヨーロッパは依然として本質的に男性中心の社会であり、女性がどれほど優れた外交的手腕を実証してみせても、その功績を認めようとしない風潮が根強く残っていた。エカチェリーナの場合、その能力は統治の実績として誰の目にも明らかだったにもかかわらず、である。
そこで、手強く「厄介な」存在であるこの女性指導者の評判を貶めるため、彼女の性的倒錯――あるいはそう思い込まれた振る舞い――を暴き立てようとする動きが生まれたのである。死因に関する醜悪な噂は、まさにその産物と言えるだろう。