ジョン・ピーター・ザンガーとは
ジョン・ピーター・ザンガー(John Peter Zenger、1688年頃~1746年)は、ドイツ系アメリカ人の印刷業者・出版人・ジャーナリストです。1735年の有名な裁判を通じて、アメリカにおける報道の自由の基礎を築いた人物として、歴史にその名を刻んでいます。
ドイツからニューヨークへ
ザンガーはドイツに生まれ、1710年にアメリカへ移住しました。ニューヨーク市に定住すると、印刷業者として長年働き、その経験を積み重ねました。そして1733年、ついに自身の新聞となる「ニューヨーク・ウィークリー・ジャーナル(New-York Weekly Journal)」を創刊します。
植民地総督との対立と逮捕
創刊した新聞は、イギリス領ニューヨーク植民地の総督ウィリアム・コスビー(William Cosby)の政治や腐敗を鋭く批判する内容でした。これに激怒したコスビーは、ザンガーを逮捕させ、扇動的誹謗罪(seditious libel)で告発しました。当時、政府への批判そのものが犯罪とみなされる可能性があり、ザンガーの命運は風前の灯火でした。
歴史的な裁判――「真実」を語る権利
ザンガーの裁判は、報道の自由の歴史における画期的な転換点となりました。弁護士アンドリュー・ハミルトン(Andrew Hamilton)とジェームズ・アレクサンダー(James Alexander)は、「たとえ政府への批判であっても、真実を出版することは正当な権利である」と力強く主張しました。これは当時の常識に真っ向から挑む画期的な弁論でした。
無罪判決が残した遺産
1735年、陪審員はザンガーを無罪と判断しました。この裁判の結果は、単なる一人の印刷業者の勝利にとどまらず、後のアメリカ合衆国憲法修正第1条に結実する「報道の自由」という理念の重要な先例となったのです。
釈放後もザンガーは「ニューヨーク・ウィークリー・ジャーナル」の発行を続け、1746年にニューヨーク市でこの世を去りました。彼の闘いは、言論と報道の自由を守るための原点として、今日でも多くの人々に記憶されています。