1692年にマサチューセッツ植民地のセーラムで起きた「セーラム魔女裁判」には、当時の町を代表する裕福で影響力のある人々が深く関わっていました。彼らは農場主、商人、政治家として地域社会で高い地位を占め、裁判の進行において重要な役割を果たしました。ここでは、その中心となった5人の人物を紹介します。
トーマス・パットナム(Thomas Putnam)
セーラムの裕福な農場主にして大地主。地域社会の有力な一員であり、治安判事も務めました。強い野心と貪欲さで知られ、魔女裁判における主要な告発者の一人でした。娘のアンや妻も告発に関与しており、パットナム家全体が裁判を後押ししたとされています。
エドワード・パットナム(Edward Putnam)
トーマス・パットナムの弟であり、同じくセーラムの裕福な農場主・地主でした。治安判事としての職務に加え、魔女裁判にも関与しました。兄とともにパットナム家の影響力を支える存在でした。
ジョン・ハソーン(John Hathorne)
裕福な商人にして船主。治安判事として魔女裁判の審判官を務めました。厳格で敬虔なピューリタンとして知られ、被告人に対して容赦のない尋問を行ったことで有名です。なお、小説『緋文字』で知られる作家ナサニエル・ホーソーンの先祖にあたります。
ウィリアム・ストートン(William Stoughton)
裕福な判事・政治家。魔女裁判を担当した特別法廷「オイエル・アンド・ターミナー裁判所」の主席判事を務めました。「幽霊による証拠」を認めるなど、被告人への厳しく無慈悲な対応で知られ、19名の絞首刑という悲劇的な結果を招いた中心的な人物です。
サミュエル・シーウォール(Samuel Sewall)
裕福な商人・判事。当初は魔女裁判の審判官として関与していましたが、後に自らの判断を悔い、1697年にボストンの教会で公開謝罪を行いました。敬虔さと正義への献身で知られ、裁判関係者の中で唯一公式に謝罪した人物として記憶されています。
まとめ
これらの人物たちは、セーラムの経済的・政治的エリートとして、魔女裁判の展開に大きな影響力を持っていました。ストートンやハソーンのような人物は被告人への厳しい態度で多くの犠牲者を生み出した一方、シーウォールのように後に自らの過ちを認めた人物もいました。セーラム魔女裁判は、権力と恐怖が結びついたときに何が起こりうるかを示す歴史の教訓として、今もなお語り継がれています。