歴史物語

1940年(昭和15年)に起こった歴史的出来事|第二次世界大戦の転換点を解説

1940年は、第二次世界大戦が本格化し、世界の歴史が大きく動いた年でした。ヨーロッパではドイツ軍の快進撃が続き、フランスが陥落。日本では日独伊三国同盟が締結され、戦争の枠組みはさらに広がっていきました。この記事では、1940年(昭和15年)に起こった主要な出来事をわかりやすく解説します。

背景:1939年のポーランド侵攻で始まった第二次世界大戦

まず前提として、第二次世界大戦は1939年9月1日のドイツによるポーランド侵攻によって始まりました。この侵攻を受けてイギリスとフランスがドイツに宣戦布告し、戦争は最終的に数十か国を巻き込む世界的な紛争へと発展します。そして1940年、戦局は一気に動くことになりました。

ダンケルク撤退(5月〜6月)

1940年5月10日、ドイツ軍はベルギー、オランダ、ルクセンブルク、フランスへ侵攻を開始しました。電撃戦(ブリッツクリーク)により連合軍は圧倒され、約33万人の英仏兵がフランス北部の港町ダンケルクから海上脱出する「ダンケルクの奇跡」が起こりました。

フランスの敗北とヴィシー政権の成立(6月)

6月14日にドイツ軍が無防備宣言されていたパリに入城し、6月22日にはフランスが休戦協定に調印して降伏しました。その結果、フランス南部にはドイツに協力的な「ヴィシー政権」が成立します。一方、シャルル・ド・ゴール将軍はロンドンで自由フランス(亡命政府)を組織し、抗戦を続けました。

バトル・オブ・ブリテン(7月〜10月)

フランス陥落後、ドイツはイギリス本土への上陸作戦の前段階として、大規模な航空攻勢を仕掛けました。これが「バトル・オブ・ブリテン」です。イギリス空軍(RAF)はドイツ空軍(ルフトヴァッフェ)を迎え撃ち、制空権を守り抜きました。この勝利によりドイツのイギリス本土上陸は阻止され、戦争の行方を左右する重大な転換点となりました。

ザ・ブリッツ(ロンドン大空襲)(9月以降)

9月以降、ドイツはロンドンをはじめとするイギリス各都市への夜間爆撃を繰り返すようになりました。「ザ・ブリッツ」と呼ばれるこの空襲は翌1941年まで続き、多くの市民が犠牲となり、都市部は甚大な被害を受けました。

日独伊三国同盟の締結(9月27日)

1940年9月27日、ドイツ・イタリア・日本の3か国が「日独伊三国同盟」に調印しました。この同盟では、現状維持を脅かす国が参戦した場合、3か国が政治・経済・軍事のあらゆる手段で相互支援を行うことが定められました。この同盟は、ヨーロッパとアジア・太平洋の戦争をつなげ、戦火の世界的拡大につながる大きな要因となりました。

その他の1940年の主な出来事

  • イタリアの参戦(6月10日):ムッソリーニ率いるイタリアがドイツ側で参戦。
  • カティンの森事件(春):ソ連がポーランド将校ら約2万人を処刑。
  • トロツキー暗殺(8月20日):メキシコでレフ・トロツキーが暗殺される。
  • ワルシャワ・ゲットー設立(秋):ナチス・ドイツがユダヤ人隔離地区を設置。
  • 米大統領選挙(11月):ルーズベルトが史上初となる3期目の当選を果たす。

まとめ

なお、よく混同されやすいのですが、ソ連への奇襲作戦「バルバロッサ作戦」や真珠湾攻撃、米国の武器貸与法(レンドリース法)などは、いずれも1941年の出来事です。1940年は、フランス陥落とバトル・オブ・ブリテンによって欧州の勢力図が決定的に変わり、三国同盟の締結によって世界規模の戦争へ向かう流れが固まった、第二次世界大戦における最重要の転換点のひとつといえるでしょう。