歴史物語

ゴリアド虐殺とは?テキサス革命で342人の犠牲者を出した悲劇の全貌

ゴリアド虐殺とは何だったのか

ゴリアド虐殺(Goliad Massacre)は、1836年3月27日、テキサス革命の最中に、テキサス州ゴリアドでメキシコ軍が捕虜としていたテキサス兵約340人を処刑した事件です。当時メキシコの指導者だったアントニオ・ロペス・デ・サンタ・アナ将軍が発した「反逆者には容赦しない」という命令に基づき、ホセ・デ・ウレア将軍の指揮下にある部隊によって実行されました。

処刑はパームサンデー(枝の主日)に行われ、捕虜たちは「釈放される」と告げられて要塞の外へ連れ出された後、一斉射撃を受けました。この虐殺は、わずか数週間前に起こったアラモの戦いと並び、テキサス独立戦争史上最も悲劇的な出来事の一つとされています。

虐殺に至る経緯

1836年3月19日から20日にかけて行われたコレト・クリークの戦い(Battle of Coleto Creek)で、ジェームズ・W・ファニン率いるテキサス部隊はメキシコ軍に包囲され、降伏しました。ファニンらは「正規の戦争捕虜として扱うこと」を条件に武装を解除しましたが、サンタ・アナはこの約定を認めず、捕虜全員の処刑を命じました。

捕虜たちはゴリアドのプレシディオ・ラ・バヒア(Presidio La Bahía)に収監され、約1週間後の3月27日に処刑されました。

主な犠牲者

ジェームズ・W・ファニン(James W. Fannin)

コレト・クリークの戦いにおけるテキサス軍の指揮官。約400名の部隊を率いていましたが、包囲と弾薬不足により降伏を余儀なくされました。処刑の際には他の捕虜とは別に扱われ、着席した状態で銃撃を受けるなど、一定の配慮が示されたと伝えられています。

ウィリアム・ワード(William Ward)

ジョージア義勇兵で構成された「ジョージア大隊」の指揮官。レフヒオの戦いでメキシコ軍と交戦した後、ファニンの部隊と合流しようとして捕らえられ、ゴリアドで命を落としたとされています。

犠牲者の数と生き残った人々

この虐殺による犠牲者は合計約342人に上ります。一方で、医師や通訳として必要とされた一部の捕虜や、混乱の中で逃げ延びた約20〜30人が命拾いしました。彼らの証言は、虐殺の実態を後世に伝える貴重な記録となっています。

「ゴリアドを忘れるな」が残したもの

ゴリアド虐殺の報せはテキサス全土に衝撃を与え、「アラモを忘れるな(Remember the Alamo)」とともに「ゴリアドを忘れるな(Remember Goliad)」というスローガンが生まれました。この怒りはテキサス軍の結束を固め、1836年4月21日のサンジャシントの戦いにおける圧勝、ひいてはテキサス共和国の独立へとつながっていきました。

現在、ゴリアドのプレシディオ・ラ・バヒア跡地には記念碑が建てられ、犠牲者を追悼する式典が毎年催されています。