リトルビッグホーンの戦いとは
1876年6月25日~26日、モンタナ準州のリトルビッグホーン川沿いで繰り広げられた「リトルビッグホーンの戦い」は、アメリカ西部開拓史上最も有名な戦闘の一つです。ラコタ(スー族)・ノーザン・シャイアン族・アラパホー族などの先住民連合軍が、ジョージ・アームストロング・カスター中佐率いるアメリカ陸軍第7騎兵連隊を迎え撃ちました。
犠牲者は約260人超
この戦いで第7騎兵連隊側の死者は約268人に達したとされています。カスター中佐本人に加え、弟のトムとボストン、甥のオーティ・リード、義弟のジェイムズ・カルフーンといった近親者も相次いで命を落としました。資料によって数え方は異なり、斥候や民間人を含めて約263~268人とされるのが一般的です。
「歩兵だった」説は誤り
ときどき「この戦いには騎兵は一人もいなかった」「第7騎兵連隊は実質的に歩兵部隊だった」といった話を目にしますが、これは誤解です。第7騎兵連隊は正規の騎兵連隊であり、将兵は馬に乗る騎兵として編成・訓練されていました。ただし、実際の戦闘では地形や状況に応じて下馬し、ライフルで応戦する場面も多く見られました。
戦闘の経過と結果
カスター直率の約210人の部隊は、圧倒的な数の先住民戦士に包囲され、全滅しました。一方、マーカス・リノ少佐とフレデリック・ベンティーン大尉が指揮する別働隊は川沿いから高地へ退いて防戦し、壊滅を免れています。
この悲劇は「カスター最後の抵抗」として広く知られるようになりました。先住民側にとっては歴史的な大勝利となりましたが、その後のアメリカ政府の報復作戦は激しさを増し、先住民諸部族はやがて保留地への移住を強いられていくことになります。