歴史物語

バーノン・J・ベイカーはなぜ名誉勲章の受章が1997年まで遅れたのか?――隠されていた第二次世界大戦の英雄

バーノン・J・ベイカー(Vernon J. Baker)は、第二次世界大戦中の1945年4月、イタリア戦線で目覚ましい武勇を発揮したアメリカ陸軍の中尉です。しかし、彼に名誉勲章(Medal of Honor)が授与されたのは、それから52年も経った1997年1月13日のことでした。この長い歳月の背後にあったのは、当時のアメリカ軍における深刻な人種差別でした。

1945年4月――イタリア戦線での英雄的行動

ベイカーは第92歩兵師団第370歩兵連隊C中隊に所属する少尉として従軍していました。1945年4月5日から6日にかけて、ヴィアレッジョ近郊の戦闘において、彼はほぼ単独で敵の機関銃座3か所と監視哨2か所を破2か所を破壊し、9人の敵兵を排除しました。さらに、激しい砲火と地雷原の中を部隊を率いて前進し、負傷した味方の救出にも貢献しています。

この戦功により、彼は1945年に殊勲十字章(Distinguished Service Cross)を授与されました。しかし、アメリカ軍最高の勲章である名誉勲章の対象にはなりませんでした。

名誉勲章から締め出された黒人兵士たち

第二次世界大戦で名誉勲章を受章した兵士は数百人に上りますが、その中に黒人兵士は一人も含まれていませんでした。これは戦功の差によるものではなく、アフリカ系アメリカ人兵士の活人兵士の活躍を正当に評価しない、軍上層部の差別的な運用が原因でした。当時のアメリカ軍は人種隔離政策のもとにあり、黒人部隊は十分な栄誉を与えられないまま戦わされていたのです。

再調査がもたらした52年目の正義

転機が訪れたのは1990年代です。議会の要請を受けた陸軍は過去の記録の再調査を実施し、1993年のシャー大学(Shaw University)による研究で、黒人兵士への勲章選考に体系的な差別が存在したことが確認されました。

この結果を受けて、1997年1月13日、クリントン大統領は第二次世界大戦における7人のアフリカ系アメリカ人退役軍人に名誉勲章を授与・追贈しました。このうち存命していたのはベイカーただ一人であり、自らの手で勲章を受け取ることができた唯一の人物となりました。

ベイカーは2010年に91歳で亡くなりましたが、彼の物語は、戦場での勇気の大きさとともに、差別という不正を正すためにどれほどの時間が必要であったかを、私たちに今も伝えています。