ブラッドリバーの戦いはルイジアナ州スプリングフィールドでは起きていない
よくある誤解ですが、「ブラッドリバーの戦い(Battle of Blood River)」はアメリカ合衆国ルイジアナ州スプリングフィールドで行われた戦闘ではありません。この戦いは1838年12月16日、現在の南アフリカ共和国の地で交わされた、歴史を大きく変えた決定的な戦いです。
対峙したのはズールー王国とボーア人(フォートレッカー)
ブラッドリバーの戦いは、南部アフリカで最強の軍事力を誇ったズールー王国と、新たな入植地を求めて大移動を行っていたオランダ系移民の子孫ボーア人(フォートレッカー)との間で起こりました。当時フォートレッカーたちは、ズールー王ディンガーネとの紛争を経て、ナタール地方への入植を目指していました。
圧倒的な兵力差
ズールー軍は約1万〜1万5千人規模だったのに対し、アンドリース・プレトリアウス率いるフォートレッカー側はわずか470名ほどでした。しかし、フォートレッカーは川の湾曲部を利用した要塞化されたラーゲル(移動式野営陣地)を築き、マスケット銃と小砲による強固な防御態勢を整えていました。
勝者はボーア人(フォートレッカー)側
この戦いに勝利したのはボーア人(フォートレッカー)です。ズールー軍は幾度も波状攻撃を仕掛けましたが、要塞化された陣地と圧倒的な火力の前に攻めあぐね、約3千人もの戦士を失って撤退しました。一方、フォートレッカー側には戦死者が出なかったと伝えられています。この決定的な勝利により、翌1839年にナタール共和国が建国されることとなりました。
「血の川」と呼ばれる由来
戦場となったンコメ川は、命を落とした多数のズールー戦士の血で川面が赤く染まったことから、「ブラッドリバー(血の川)」と呼ばれるようになりました。南アフリカでは12月16日が国民の祝日とされており、かつてはボーア人の勝利を記念する「誓いの日」でしたが、1994年の民主化以降は「和解の日」として、異なるコミュニティ間の和解を象徴する記念日へと意味を変えています。