歴史物語

サミュエル・W・ソウルとは?生涯と立法上の功績を解説

サミュエル・W・ソウルのプロフィール

サミュエル・ワトソン・ソウル(Samuel Watson Soule、1839年8月10日 – 1889年3月23日)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の弁護士・政治家です。連邦下院議員として活躍し、米国史上初の移民制限立法とされる「1882年中国人移民排斥法」の起草者として知られています。

生い立ちと弁護士としての歩み

ソウルはメイン州ヨーク郡ケネバンクに生まれ、幼少期に家族とともにカリフォルニア州へ移住しました。現地の公立学校で教育を受けた後、機械工としての技術を習得し、一時期は新聞社の印刷工場で働いていました。

1859年に法律の勉強を開始し、1861年にカリフォルニア州の弁護士資格を取得します。当初は事業に苦戦しましたが、サンフランシスコへ拠点を移してからは成功した弁護士として確固たる地位を築きました。

政界への進出

政治に関心を持つようになったソウルは、1871年、1873年、1877年の各カリフォルニア州民主党大会で代議員を務めました。さらに1880年の民主党全国大会ではカリフォルニア州代議員団の議長に就任し、州を代表してウィンフィールド・S・ハンコックの大統領候補指名を推薦しています。

連邦下院議員としての活動

1878年、ソウルは民主党候補としてカリフォルニア州から第46回連邦議会の下院議員に選出され、続く第47回議会でも再選されました(在任期間:1879年3月4日 – 1883年3月4日)。1882年の再選では落選しましたが、当選者が辞退したため欠員補充として再当選し、第48回議会において1884年1月31日から1885年3月3日まで務めました。その後、民主党の候補にはウィリアム・W・モローが擁立され、1884年の選挙で無所属として出馬したソウルはモローに敗れています。

主な立法上の功績

下院議員時代のソウルは、第47回議会で戦時請求委員会委員長を、第48回議会では強大な権限を持つ歳入委員会(Ways and Means Committee)委員長を歴任しました。

最もよく知られる功績は、1882年の中国人移民排斥法の起草です。この法律は、アメリカ合衆国が制定した最初の移民制限立法となりました。また、米国史における保護貿易主義立法の頂点とされる1890年のマッキンリー関税法の成立にも重要な役割を果たしたとされます。同法は関税収入の大幅な減少をもたらし、新たな財源の必要性を生んだことから、同年、議会は「取引の制限」や独占を違法と定めるシャーマン反トラスト法を可決することになりました。

上院選への挑戦

ソウルは民主党員として2度、連邦上院の議席獲得に挑戦しました。しかし、第49回議会に向けた選挙では共和党のジョージ・ハーストに、第50回議会に向けた選挙では民主党のジョージ・C・パーキンスに、それぞれ敗れています。

晩年と死

1889年3月23日、ソウルはサンフランシスコの州最高裁判所で訴裁判所で訴訟の弁論を行っている最中に神経痛のため急逝しました。亡くなった際には、妻、二人の息子、一人の娘が残されました。遺体はコロンビアにあるオッドフェローズ墓地に埋葬されています。

「ソウル・グレード」と呼ばれる有料道路

カーン川流域にあるイエロードッグ鉱山での採掘事業に失敗した後、ソウルは1882年7月にその土地を購入しました。そこで牧場を開設するとともに、カーン川流域へ通じる有料道路を建設しました。この道路は現在でも「ザ・ソウル・グレード(The Soule Grade)」の名で呼ばれています。