ヒュー・ホールとは
ヒュー・ホール(Hugh Hall、1773年5月15日 – 1829年8月11日)は、米英戦争(1812年戦争)期にアメリカ合衆国陸軍で軍楽隊員として勤務した人物です。一部の資料では、彼がアメリカ合衆国の国歌「星条旗(The Star-Spangled Banner)」の作者とされることがありますが、その経緯については後述の通り、歴史上の定説と異なる点があります。
生い立ちと音楽の才能
ホールはメリーランド州に生まれました。父ウィリアム・ホール大尉は農場を営むかたわら、アメリカ独立戦争に従軍した経験を持つ退役軍人でした。幼い頃から優れた音楽の才能を見せていたホールは、フィラデルフィアへ送られ、当時著名な作曲家・鍵盤奏者だったアレクサンダー・ライナグルに師事して本格的に音楽を学びました。その後、彼は陸軍に入隊し、軍楽隊員として米英戦争に従軍することになります。
マクヘンリー要塞の戦いと「星条旗」
戦争中、ホールはメリーランド州ボルチモアにあるマクヘンリー要塞(フォート・マクヘンリー)に駐屯していました。1814年9月13日、イギリス軍が同要塞への攻撃を開始し、激しい艦砲射撃が一昼夜にわたって続きました。
この砲撃戦のさなか、要塞上空にアメリカ国旗がなお高く翻っている姿を目にしたことがきっかけとなり、「星条旗」の歌詞が生まれたと伝えられています。ただし、今日の一般的な歴史学では、この歌詞は要塞を海上の船から眺めていた弁護士フランシス・スコット・キーによって書かれたものとされています。キーの詩には、イギリス人作曲家ジョン・スタッフォード・スミスによる旋律「天国のアナクレオンへ(To Anacreon in Heaven)」が後に付けられ、この曲は1931年に正式にアメリカ合衆国の国歌として制定されました。
戦後の人生と晩年
戦争が終わった後もホールは陸軍に残り、1826年まで長く勤務を続けました。除隊後はペンシルベニア州チェスターに移り住んで穏やかな余生を過ごし、1829年に56歳で亡くなりました。
まとめ
ヒュー・ホールは、米英戦争期に軍楽隊員として祖国に仕えた一人の兵士です。「星条旗」の作者としてその名が語られることもありますが、定説では作詞はフランシス・スコット・キーによるものとされており、ホールの生涯は、アメリカ国歌が生まれた激動の時代を今に伝える貴重な証言者の一人として記憶されています。