結論:いいえ
プレッシー対ファーガソン事件(1896年)は、アメリカ史における重要な転換点となった判例ですが、その方向性は人種差別の撤廃とは正反対のものでした。
「分離すれども平等」の原則
この裁判でアメリカ連邦最高裁判所は、公共施設を人種に基づいて分離することは、各施設が「分離すれども平等(separate but equal)」である限りにおいて合憲であると判断しました。これにより、鉄道車両や学校などにおける黒人と白人の分離が法的に正当化されることになったのです。
差別を固定化した判決
この判決は人種差別撤廃に貢献するどころか、むしろ人種隔離法制(いわゆるジム・クロウ法)の合憲性を数十年にわたって支え続けました。特に南部諸州では公的な人種差別が拡大し、アフリカ系アメリカ人は劣悪な条件下での隔離生活を強いられることになりました。
ブラウン判決による転換
こうした状況に終止符が打たれたのは、1954年のブラウン対教育委員会事件(Brown v. Board of Education)でした。同判決は「分離すれども平等」の原則を否定し、人種によって分離された施設は本質的に不平等であると断じたことで、アメリカにおける人種差別撤廃への道を開くこととなりました。