広島原爆の被爆者として知られる佐々木貞子さんは、闘病中に折り続けた千羽鶴の物語で世界に知られています。しかし悲劇は貞子さん一人にとどまらず、その家族にも及んでいました。ここでは、貞子さんの兄弟である佐々木ミツルさんと佐々木マサルさんの短い生涯を紹介します。
佐々木ミツル(1943年8月1日〜1955年10月15日)
ミツルさんは、広島原爆投下から約10年後の1955年10月15日、白血病のため12歳という若さで亡くなりました。
病気と闘っていた頃のミツルさんは、いつも折り紙を手にして折り鶴を折っていたといいます。そんな姿を見ていた病院のスタッフや看護師たちは、彼に「パパ」という愛称を付けました。この愛称は、英語の「ペーパー(paper=紙)」に由来するものだと言われています。
佐々木マサル(1943年1月5日〜1956年5月7日)
マサルさんは貞子さんの兄です。広島に生まれ、原爆が投下された1945年当時は2歳でした。妹の貞子さんと同じ元町小学校に通い、あの日の惨禍を生き延びました。
しかしその後、マサルさんも白血病を発症。1956年5月7日、13歳でこの世を去りました。ミツルさんとマサルさん、兄弟二人ともが、原爆後の放射線の影響による病気で命を落としたのです。
まとめ
貞子さんの兄弟には、白血病で亡くなったミツルさんとマサルさんがいました。二人の死は、原爆の被害が爆風や熱線にとどまらず、その後も長年にわたって多くの人々の命を奪い続けたことを物語っています。千羽鶴の物語の陰にあった家族の悲しみにも、ぜひ思いを馳せてみてください。