歴史物語

ボストンからイギリス軍を追い出した決め手は何だったのか?

アメリカ独立戦争の序盤、ボストンはイギリス軍の最重要拠点でした。しかし最終的に、イギリス軍はこの街を手放さざるを得なくなります。その背景には、バンカーヒルの戦いとドーチェスター高地の要塞化という二つの重要な出来事がありました。

バンカーヒルの戦い(1775年6月17日)

1775年6月17日に勃発したバンカーヒルの戦いは、独立戦争における最初の本格的な会戦でした。実際の戦闘は隣接するブリーズヒルで行われましたが、当時から「バンカーヒルの戦い」と呼び習わされています。

イギリス軍は勝利こそ収めたものの、死傷者1,000人を超える甚大な損害を被りました。「訓練不足の植民地民兵など簡単に打ち倒せる」という当初の見通しは完全に覆され、この戦いはイギリス軍の自信を揺るがし、戦争の長期化を予感させる転換点となったのです。

決定打となったドーチェスター高地の要塞化

ボストン解放の直接的なきっかけとなったのは、1776年3月の出来事です。ヘンリー・ノックス大佐がフォート・ティコンデロガから運び出した重砲群が、ボストンの街を見下ろすドーチェスター高地に設置されました。厳冬期に雪上をソリで約300キロに及ぶ砲列を運搬したこの作戦は、歴史に残る偉業として知られています。

高地からの砲撃を受ければ、停泊中のイギリス艦隊と市内の作戦拠点が破壊されかねない状況に直面したウィリアム・ハウ将軍は、これ以上の防衛は不可能であると判断しました。

イギリス軍の撤退とその意義

1776年3月17日、イギリス軍は約1年間に及ぶボストン占領に終止符を打ち、艦船とともに撤退しました。この撤退は、大陸軍にとって独立戦争における初めての大きな戦略的勝利であり、ジョージ・ワシントンの指導力を内外に示す画期的な出来事となりました。以後、戦争の主戦場はニューヨークへと移っていくことになります。