歴史物語

ダーモット・マクマロウはなぜ「ノルマン人をアイルランドに招いた男」と非難され続けるのか?

ディアマイト・マク・ムルハダ(Diarmait Mac Murchada)、英語名ではダーモット・マクマロウ(Dermot McMurrough)として知られる人物は、12世紀のレンスター地方の王でした。1169年、彼はアングロ=ノルマン軍をアイルランドへ招き入れたとされ、それがきっかけでイングランドによるアイルランドへの影響力が数百年にわたって続くことになったと語り継がれています。しかし、この通説はどれほど正確なのでしょうか。

1169年、何が起きたのか

当時のアイルランドは複数の王国に分かれており、王たちは互いに覇権を争っていました。マク・ムルハダは強引な政治手法で多くの敵を作り、1166年にはタラの最高王ルアイリ・ウア・コンホバイル(Ruaidrí Ua Conchobair)によって王位を追われ、イングランドへ亡命します。

そこで彼はイングランド王ヘンリー2世に支援を求め、ペンブルック伯リチャード・ド・クレア、通称「ストロンボウ(Strongbow)」と同盟を結びました。娘のアオイフェをストロンボウに嫁がせるという約束まで交わしたと伝えられています。こうして1169年、ノルマン系の騎士たちがアイルランド南東部のウェックスフォードに上陸し、ここに「ノルマン人のアイルランド侵攻」が本格的に始まったのです。

本当に彼一人のせいなのか

しかし、「彼が招いたから侵略が始まった」という単純な歴史観には疑問の声もあります。当時のゲール系アイルランド社会では、外部の傭兵や同盟勢力の力を借りて政敵と戦うことは決して珍しくありませんでした。実際、マク・ムルハダ以前にも、他のアイルランドの王たちが外来の勢力と手を組んだ記録が残っています。

さらに見逃せないのは、ヘンリー2世自身が1171年に自らアイルランドへ渡り、教皇の承認のもとで島の支配権を主張している点です。つまり、イングランド側の拡張の野心が当初から背景にあり、マク・ムルハダはあくまで「引き金を引いた人物」であって、歴史の大流そのものを作り出したわけではないのです。

まとめ

ダーモット・マクマロウは、アイルランドにおけるイングランド支配の始まりの象徴として、長い間「裏切り者」の烙印を押されてきました。しかし彼の行動は、当時の過酷な政治状況下における生存戦略でもあり、侵略の責任を彼一人に帰すのは公平とは言えません。歴史をより深く理解するには、個人の「罪」としてではなく、12世紀アイルランドの複雑な権力闘争の中でこの出来事を捉えることが重要です。